21世紀末の“身体”への見通し

 

幹細胞に関わる研究者?! 川上雅弘

 
 最近、プロスポーツを見ていて気になることは、ベテランの活躍だ。プロ野球では、最年長完封勝利を記録した中日の山本昌投手は45歳、関西のアラフォーの星の阪神の金本選手は42歳、今季まで西武に在籍した工藤公康投手は47才だが、引退をするのではなく次の移籍先を探している。サッカーでも三浦和良選手は、自身の持つ記録を更新し、43歳9カ月で再年長ゴールを更新した。テニスの伊達公子は37歳でプロへの復帰を果たし、今年40歳を迎えたが大活躍している。先日終わったばかりの福岡場所では、38歳のベテラン魁皇が終盤まで優勝争いを演じ、目玉だった“連勝記録”が2日目に途切れた後の話題を引き継いだ。白鵬の連勝記録が途切れた後であっただけに、角界関係者には思いもよらない出来事だったかもしれない。ここまでベテランが現役を続けられる理由は何か?体調管理や栄養管理などの科学的な要素を取り入れた肉体管理技術やトレーニング方法の向上が現役期間の伸長を可能にしているのだろうと推測している。
 実は、ベテランの活躍への期待は、スポーツの世界だけではない。高齢化社会に向かう日本の中でも、高齢者の日常生活における健康の維持というのが一つの課題となっているらしい。少子高齢化が進む日本社会において、高齢者の医療費は右肩上がりに増大しており、今後の日本の国家財政をひっ迫する大きな要因とも考えられている。実は、私が仕事で関わる再生医療やiPS細胞といった研究分野への期待が大きい要因の一つとしても、この理由があるらしい。再生医療とは、読んで字のごとくかもしれないが、機能を失った身体の一部を、代替する細胞や組織を移植して喪失した身体を再生し機能を回復させる医療技術である。この医療技術で利用が期待されているもののひとつに幹細胞と呼ばれる、特殊な機能をもった細胞がある。細かい分類や説明は本稿では触れないが、ごく単純に説明すれば、ある機能をもった細胞の元になる細胞とひとまず理解しておけば良いだろう。

 この再生医療は、現在、治療方法の無い難病や、臓器移植などの代替といった新しい医療技術として期待されているが、それだけに留まらず、老化防止や美容などへの応用も期待されている。先日、参加した幹細胞研究のあるシンポジウムの質疑応答の際に、一般の聴衆と見受けられる方が「再生医療の技術が普及すると人は死ねなくなるのではないでしょうか?」といった質問があった。これに対して研究者は、「心配しなくても不老不死は無理だと考えているし、寿命には限界があると思います。でも肉体的に元気な年寄りを増やすことはできるかもしれないと思っています。」と答えていた。思わず“死ぬ直前まで元気に過ごしポックリ逝く人が増えるのかな”と想像してしまった。確かに再生医療の行きつく先には、QOL(Quality of Life)の向上があるのかもしれない。いまでも医療技術における延命措置や尊厳死を含め医療におけるQOLは、様々な議論があると思うが、現在のそういった議論が収束した先には、“老い”の扱いの議論になるのかもしれないと感じている。iPS細胞は、ES細胞と言う受精卵から取り出して作るしかなかった身体の源になりえる細胞を、皮膚や白血球の様な大人の体細胞に数種類の遺伝子を働かせて作製する。大人の細胞が、生まれたばかりとほぼ同じ頃に若返った細胞とも表現される。iPS細胞が、再生医療の象徴として持てはやされる理由には、“老いの克服”という古代の人も夢見ていた期待があるのかもしれない。 

 こうなってくると、もう数十年くらい経つと、“身体的な老い”は、ある意味「克服できる病気」として扱われるようになっていても不思議ではないとさえ感じる。20世紀前半のペニシリンの発見に代表される抗生物質の台頭は、それまでの主な病気の原因であった感染症の克服に大きく貢献した。現在の幹細胞研究や分子生物学などの生命科学研究の台頭は、21世紀の人類にとって“老い”という誰にでも訪れる当然の身体的変化との関わり方を変える可能性さえある。もし今世紀末くらいに“老い”が、本当に「克服できる病気」になったときには、その時代を生きる人々には様々な選択が迫られるだろうし、自分自身の“身体”との関わり方を考える機会に遭遇する必然性に迫られるのかもしれない。

自分が関わるiPS細胞を通して“身体”を考えてみたら、“老いを克服する身体”に行きついてしまったのであるが、皆さんはどう感じているだろうか?

 kappacoolazy

 もう一度、確認するだに。
 「私」の皮膚などの細胞を取り出し、それを操作することで、「私」の肝臓など他の組織を作製できる、というのが再生医療ということでいいだにね?
 んで、最初に取り出した皮膚の細胞の遺伝子を操作して作られたのがiPS細胞・・・ということでいいんだにか?
 再生医療の利用としてはES(万能)細胞というものがあっただにね。それは受精卵から作製されるので、その受精卵が生命を持っているとかいないとか・・・そういう倫理的な問題があっただにね。

 iPS細胞による再生医療では臓器移植に関するいくつかの問題がクリアされるということだにね。あとは、ES細胞作製あるいは利用の倫理的な問題もクリアされるだにね。

 

 川上しゃん

 再生医療ってのは、病気や事故で機能を失った身体の組織や臓器を、細胞などを補って働きを取り戻す治療のことです。その働きを補う細胞として便利なものとして、ES細胞の利用が期待されていました。iPS細胞は、皮膚などの体細胞にES細胞で働いている遺伝子を強制的に働かせると、体細胞だったものがES細胞とほぼ同じ性質を示すようになった細胞です。ES細胞は、受精卵を材料にするので、1人の人間に成長する可能性のある受精卵を壊しても良いのか?といった、倫理的な問題がありました。iPS細胞は、胚を材料としないので、ヒト胚の破壊についての倫理的な問題は持たない細胞です。ただし、ES細胞と違って、生きている人の細胞を材料にして、身体中のどんな組織にもなれる細胞であることから、遺伝情報の扱いなどについては新たな課題もあると言われています。


 kappacoolazy

 なるほど・・・遺伝情報の扱い、ね・・・。
 一般聴衆の方?と研究者の応答が微妙にズレていて面白いと感じてしまっただにね。一般聴衆の方の質問というのは、「命の尊厳」と関わってくるものだと思うんだに。つまり、必ず「死」が訪れてしまうので、大切にしなくちゃならない「命」だったはずなのに・・・、再生医療というのは「命の大切さ」というものを揺さぶってしまうのではないかという畏れ。それに対して、あくまで「肉体」としての機能不全として寿命を考える回答として・・・。
でも、極論的に本当に「死」は訪れるだにか? なんだか、フランケンシュタインを想像してしまうだによ。

 川上しゃん
 ズレを感じたという指摘、もっともかもしれないなと改めて感じました。このズレが何に起因するのかなと考えると、研究者と一般の人の細胞に対する距離感なのかなと思います。研究者は、細胞をモデルにして研究を進めるのですが、そういったことを通じて、細胞と個体の間に大きな隔たりがあることも認識して研究を進めています。その一方、一般の人は、細胞と個体を同じような感覚で捉えているのかなと思いました。それがこのズレの原因なのかなと。細胞そのものにも寿命があります。そして動物の身体というのは、様々な役割を持った細胞がきちんと連携して組織になり臓器として働くことで、生き物として維持されている。その細胞同士の連携や臓器としての機能を、エラーが無いように制御するのは神がかりとも言えます。科学者的な回答かもしれないですが、そういう意味では、死を乗り越えるのは難しいと感じます。また、「死が訪れるからこそ生命だ」という気もします。
 でも、一般の方がおっしゃるように、細胞が死ななくなるとちょっとやそっとで個体も死ねなくなるんじゃないかと感じることも理解できます。自分の周りでも、確かに、個体としての命を粗末にしかねないという心配の声をきくこともあります。

 「死」が訪れるか?と問われると、訪れると思うし、研究者は不死を得るということを目標に研究はしていないので、フランケンシュタインはできないというのが、どうしても回答になってしまいます。

 

 kappacoolazy

 クローン技術との関わりでも議論されてきたことだと思うんだけど、iPS細胞によって作成された「もの」は、細胞としてかなり若返ってるの?

 

 川上しゃん

 クローン技術で、細胞の若返りの象徴として取り上げられて有名になったのが、細胞の中の染色体の端にあるテロメアという部分の長さだったと思います。長いと若い細胞で、年齢を重ねた細胞ほど短いということが知られています。クローン羊のドリーでは、生まれたときでもテロメアが短かくなっていて、年齢を経て生まれた赤ちゃんとも言われたこともあります。ドリーの場合にはテロメアは短かったですが、今ではクローン動物共通の現象と言う認識ではありません。他のクローン動物を調べてみると、正常な長さであったり、むしろ通常よりも長くなっていたという報告もあります。そして、iPS細胞のテロメアについては、ES細胞などの未分化の細胞と同じ程度の長さになっているという報告があり、これもiPS細胞が未分化細胞に戻ったという指標として用いられています。


 kappacoolazy
 機能的な「老い」を「病気」として治療するというのは、現実的なことだと妄想してしまうだによ。「老い」に関する考え方というのはかなり変化していくだにね。〆

(禁無断転載)

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