今月の言葉
2008年4月
 
 
「さまざまな事おもひ出す桜かな」(芭蕉)

 ことしの桜はみごとであった。3月26日(水)には「見ごろ」と新聞が報じ,上野は夜桜でごった返したという。それから12日間,散りそうで散らないという微妙なバランスを保って,よく耐えた。そして,12日目の4月6日(日),桜吹雪となってみごとに散って行った。「三日見ぬ間の桜かな」とむかしの人は言ったが,ことしはその4倍,咲き続けた。そのうちの7日間,わたしは桜の満開の木の下を通り抜けるようにして連日,大学に通った。それはただ,研究室の荷物を整理するためという必然にすぎなかった。しかしながら,この通勤路にあたる桜たちは,まるで新しい門出をしようとしているわたしに向かってエールを送ってくるかのような,そんな温かさを感じた。
 思い返せば11年間,この桜の木の下を通いつづけたのである。その多くが老木と化していて,これ以上は太くなれないというほどに巨木化した桜たちの幹は大きくひび割れたり,ぼこぼこに節くれだっている。それはそれはみごとなもので,その存在感というか,貫祿というか,わたしを圧倒する迫力をもっている。しかも,一本一本がみごとな個性をもっている。こうした桜の老木たちと,わたしはしばしば立ち止まり,語るともなく語り合ったものだ。老木の幹に手を触れると,季節によって異なる不思議なぬくもりが伝わってくる。とくに,冬から春に向かって,つぼみがふくらみ始めるころの幹は,こころなしか,いつもよりも温かく感ずる。まるで,桜の木のエネルギーが日ごとに蓄えられていくのが伝わってくるかのように。そして,そのつど,撫でさすりながら,「偉いなぁ」と独りごちたものである。
 また,この道は人と出会うことがほとんどなかったので,わたしは,しばしば,大きな声で『般若心経』を唱えながら歩いたものだ。すると,どういうわけか,わたしを幼少のころから見守ってくれていた人たちの顔が脳裏に浮かんでくる。一番さきに浮かんでくる顔が,なぜか,父である。母ではなくて父なのである。そして,母。そのつぎは大伯父,大伯母,わたしを厳しく鍛えてくれた母方の祖母(真冬でも,毎朝,井戸水を頭から浴びる行をさせられた),ほとんど日常的には接点はなかったが,たった一度だけ,手をつないで一里の道を歩きながらよもやま話をしてくれた父方の祖母。その手のぬくもりはいまも手の内に残っている。そして,時折,思い出したように二人の祖父がちらりと脳裏をかすめていく。この人たちの記憶は叱られたことしかない。だから,子どものころは,恐ろしくて遠巻きにしたまま近づかないでいた。一人ひとり,その温度差はあるものの,いま思えば,みんな懐かしい人たちばかりである。
 もちろん,これらの人びとはすべて故人である。わたしは,こうして,この桜並木の下で,かつて肉親の情愛をもって可愛がってくれた故人たちとの出会いを楽しんでいた。とはいえ,ときには怖い顔をして睨み付けられることもあった。が,概ね,にこやかな笑顔であった。なかでも,父と大伯父は,ほとんどにこやかに笑いかけてくれた。ありがたいことに,いつも『般若心経』がその仲立ちをしてくれた。ついでに触れておけば,これらの故人のうち男はすべて僧籍にあった人びとである。わたしにとってこの桜並木の下は,親しい故人と出会う場所でもあった。
 「桜の木の下には死人が横たわっている」と書いたのは坂口安吾だっただろうか。もう,記憶が定かではないが,だれか作家がそのようなことを書いていた。このことを知っている人たちの幾人かは,桜の木の下に佇むことを忌避していたことがある。が,わたしはまったく逆である。死人というとなんとなく生々しいが,故人と出会うことができる場所,それが桜の木の下,これがわたしのイメージだ。だから,とても好きな場所である。しかも,死者の霊のようなものがふわっと浮遊していて,すぐ近くをかすめるようにして通りすぎていく。だから,わたしは好きだ。
 こどものころ,弟を背中におぶって,子守をしながら墓地で一人遊びをするのが好きだった。それは,どう考えても一人でいるという感覚ではなく,なぜか,大勢の人たちのなかにいる安堵感のようなものを感じていた。ときには,墓のなかから骨壺を出してきて並べ,おまけに骨まで出して並べて遊んでいることもあった。が,この遊びは,あるとき,父に見つかってひどく叱られ,それを期にやめた。しかし,わたしには悪いことをした,という意識はなかった。ちょっとだけドキドキしながら,どこか懐かしい感情さえ浮かんでいたように思う。なぜなら,骨壺から骨を出しながら「この骨はキー坊のおばあさんの骨」とかセリフを言いながら,まるで歌っている気分だったからだ。つまり,目の前の骨とかつて実在した人とが一体化していたのだ。後年,「禁じられた遊び」という映画をみたとき,コンテクストはまったく異なるが,どこか親近感を覚えたものである。無邪気に遊ぶ子どもにとって,お墓は居心地の悪いところではない。
 桜の話に戻ろう。花見は,おそらく,もっとも多くの日本人が楽しみを共有する遊びの一つだろうと思う。「物見遊山」ということばがあるように,日本人は,かなり古い時代から,珍しいものがあると聞けば出かけて行って眺め,小さな丘陵に登っては遠くを眺めして,非日常の時空間を楽しんだ。しかし,これらの「遊び」の根源にあるものは「神遊び」である。その「神」の多くは「祖霊」である。つまり,死者との交信,故人を懐かしむこと,につながっていく。会社の同僚が集まって「花見の宴」を楽しむのも,なにを隠そう,みんな「祖霊」に唆されているだけのことのようにみえる。あるいは,眠っていた始原の魂が目覚めるだけかも知れない。だから,みんな童心に帰って,酔っぱらい,賑やかに騒いでいるのは,無意識のうちに,死者たちとの宴に巻き込まれているだけのことではないだろうか。つまりは,「物見遊山」の現代版にすぎない。だから,少々の無礼講もだれも咎めだてはしない。
 たまたま定年退職を迎えたこの3月に,いつもよりも早く桜が咲き,いつもよりも長く咲き続けてくれたことは,わたしには偶然とはとても思えない。11年間にわたる桜の老木たちとの対話や交信が,つまりは,わたしにとっての親しい「祖霊」たちとの交信が,わたしの新たな門出を祝ってくれたとしか思えない。にこやかに笑いかけてくる父の顔,そして,大伯父の顔・・・・。こういう人たちに守られて,いましばらくは,仕事をさせてもらえそうである。そんな予感が嬉しい。
 「花見」はスポーツである,と書くと,訝しがる人がいるかも知れない。しかし,「物見遊山」はスポーツである,と書いてもだれも疑いはしないだろう。ただ,ひたすら山の頂上からの眺望を楽しみたくて登山をし,それを記録に残した最初の人,ペトラルカを近代登山の嚆矢とするなら,「花見」もまた立派なスポーツである。「さまざまな事おもひ出す桜かな」と詠んだのは芭蕉である。桜花が咲き乱れる姿をみて,芭蕉はなにを思い出していたのだろうか。わたしもまた,毎年のように,桜の花の咲き具合を眺めながら思い出すことは無尽である。今福龍太さんのいう「ヴィジョナリー・スポーツ」は,おそらく,こういうものも含まれてのことであろう。
 ことしの桜のみごとさを皮切りにして,この4月から,寸暇を惜しんで,無限に広がるヴィジョナリー・スポーツを楽しもうと思う。