Diary


2008-09-02 クララ・グロルさんの訃報がとどく。

_ ハンス・グロルの奥さんのクララさんが亡くなった,という訃報がとどいた。享年99歳。大往生である。

亡くなられたのは,8月23日。9月4日(木)15:00から,長年住んだウィーンの郊外ヴォルフスグラーベンの教会でお別れのメッサを行う,という。ウィーンにでも住んでいたら,お参りにいきたいところ。ちょっと遠すぎる。

いまの若い人たちには,ハンス・グロルと言っても,もはや誰のこと? という程度の認識でしかないだろう。オーストリアの自然体育の提唱者カール・ガウルホーファーの愛弟子で,第二次大戦後のオーストリアの学校体育をリードした大御所である。わたしは,あるご縁があって,ハンス・グロルの書いた『体育の教授学』と『体育方法学』という2冊の本を翻訳して日本に紹介したことがある。その折に,すでにハンス・グロルは亡くなっていたが,家を訪ねて行って,クララ夫人にお会いした。いまから20年ほど前のことである。彼女はすでに脚を悪くしていて車椅子に座っていた。逆算してみると79歳だったことになる。ご家族に守られながら,しかも,すぐとなりには彼女の妹さんが住んでいて,仲良く暮らしていらっしゃった。わたしが訪ねたときも,妹さんを呼んでくれて,一緒にお話をしてくれた。

からだはかなり弱っていらっしゃるというのは見た目にもわかったが,そのときの眼の輝きというか,光り方はつよく印象に残っている。「夫の書いた本が日本語になっているとは聞いていたが,貴方がその仕事をしてくれたのですか。どうも,ありがとう。夫が一番,喜んでいると思います」と切り出し,夫のハンス・グロル氏のいろいろのエピソードを聞かせてくれた。

なかでも記憶に残っているのは,ハンス・グロルがウィーン大学に残る予定はなかった,という話である。グロル氏は,ギムナジウムの体育と地理の教師になることを夢見ていて,大学の研究者になることは考えていなかった,という。しかし,第二次大戦で,カール・ガウルホーファーやマーガレット・シュトライヒァの後継者と目されていた人たちが戦死してしまった。それで急遽,ウィーン大学に呼び戻されることになった,と。

それからが大変だった・・・・とクララ夫人は遠くをみるような眼で思い出を語ってくれた。そして,当然のことながら,ハンス・グロルの主著となる『体育の教授学』を執筆していた当時の話も聞かせていただいた。いまはもう古きよき思い出となってしまった。

ハンスとクララさんの間には4人の子どもさんがあって,その子どもである孫が9人,そして,そのまた子どもである曾孫さんがなんと22人。4世代目にはこんな数になるのだ,ということを知り,クララさんも幸せだったろうと想像している。

クララ・グロルさんのご冥福を,遠く日本の地から,こころを込めて祈りたいと思います。

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2008-09-03 高句麗の墳墓の壁画を模写した相撲の絵

_ 数日前,古い友人から電話が入ってきて,研究所の開設祝いをとどけたい,とのこと。なにごとかと,ちょっとばかり身を固くして待つ。てっきり電車でくるものとばかり思っていたら,車で行く,と途中から確認の電話。

しばらくしたら,大きな額のケースを抱えて現れた。高句麗で買ってきたという。なんだろうと思ってあけてみたら,なんと相撲の絵がでてきた。高句麗の墳墓のなかに描かれている壁画を模写したものだ,とのこと。

二人の男性ががっぷり右四つに組み合っている。しかも,ショート・パンツのようなものを身につけていて,それの腰の部分をお互いにしっかりとつかんでいる。頭には,なにやら冠のようなものをかぶっている。右側の力士が内掛けにいこうとするところを,左側の力士は切り返しにいこうとしているようにみえる。が,もともとの壁画が稚拙なのか,あるいは風化しているのか,力士のからだの線がみえない部分もあって,この技のせめぎ合いが,いま一つはっきりしない。残念。

しかし,がっぷり四つに組み合っているところをみると,朝鮮の相撲文化であるシルムに似ているかと思う。シルムは,最初にがっぷりと組み合ってから,ハッケヨイとなる。しかも,シルムはまわしを身につけている。このショート・パンツ様のものが,どのようなものなのか,この絵からは判別がむつかしい。もっとわかると面白いのだが・・・・。

高句麗の相撲絵といえば,有名な,二人の力士が両手を広げて舞っているかと思われる絵を思い浮かべる。それとはまったく別もののようだ。しかも,有名な絵の方には,力士の他にも鳥が描かれていたり,木のような植物が描かれていたりして,なかなか賑やかなのだが,これはふたりの力士だけが描かれているにすぎない。なんとも殺風景な空間の中に,二人の力士だけが描かれている。

早速,研究所の事務所の壁面に飾ってみた。最初はなぜか違和感があったのだが,次第に目が馴染んできたのか,なかなか味わいのある絵である。

そのむかし,わたしがこの友人に,高句麗の壁画に描かれている相撲の絵の話をしたことがあるらしく,それを覚えていて買ってきてくれた,という。嬉しいかぎりである。昼間から酒でも飲みたい気分になってきたが,あいにく,かれもわたしも夕刻から重要な会議が入っている。それがなかったら,早速,酒宴がはじまっただろうに・・・・と残念。祝杯は次回に残しておくことにして,話もそこそこに,お互いの会議に向かった。

友あり,遠方より来たりぬ。また,楽しからずや。

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2008-09-04 太極拳の稽古,再開。

_ 李老師をはじめ,弟子たちも8月はいろいろあって,太極拳の稽古はお休みにした。そして,昨日,一カ月ぶりに稽古を再開。

わたしとしては,休み中も,かなりまじめに自主的に稽古に励んだつもりだった。しかし,いざフタを開けてみると,前半はきちんとできてなかなかいいぞ,と思っていたのだが,後半に入ると脚がふらついてバランスがうまくとれない。途中で,李老師がみるにみかねたか「みなさん,お休みの間,稽古をしてましたか?」と問う。あわてて西谷さんの顔をみる。かれもわたしの顔をみて,なんとか答えろ,というサインを送ってくる。仕方ないので,正直に「自分としてはかなり稽古をしたつもりです」と答える。そのあと,きびしい指摘があって,わたしとしては一瞬,緊張がはしる。「腰の回転と,脚の使い方がずれている」と。

一人稽古というのはむつかしいものだなぁと思った。自分としては,これでいい,と信じて稽古をしていた。しかし,一番大事なことを忘れてしまって,自己流になってしまっている。やはり,鏡のあるところで自分の動作を確認しながらやっていないと,大きな間違いをおこしてしまう。やはり,週に一回は老師にみてもらうことが大事なのだ。

それから,スタミナが切れてしまう。一人稽古だと,せいぜい40分が限度。それで,もういい,という気持ちになってしまう。自分に甘いのである。だから,久しぶりの合同稽古になると,後半に入ってスタミナ切れになってしまう。バランスがとれなくてフラフラしてしまう。脚の筋力が落ちているのだ。やはり,準備運動と基本の稽古をもっとみっちりとやらなくてはいけないのだ。とおしの稽古をすればそれでいい,と勝手に思い込んでいる。これでは駄目なのだ。なにより大事なのは,太極拳をするからだをつくることだ。そのからだができていないのに,とおしの稽古ばかりやってもなんの意味もない。わかっているはずなのに,いざとなるとできない。意志が弱い。

1時間30分の稽古が余裕でできるだけのスタミナをつけること。やはり,毎日,稽古をする以外にはなかろう。さてはて,それだけの決意ができるものやら。そして,実行ができるものやら。心もとないかぎりではある。

でも,老師のあの気持ちよさそうな境地には,どうしても接近してみたい。上手とか下手とか,そういう問題ではない。太極拳のゴールともいうべき「行雲流水」のあの境地に魅力がある。

また,明日から,気がついたら稽古をしている,というような境地に向かって少しずつ歩いていくことにしよう。

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2008-09-05 肉体の復権

_ 木田元著『反哲学入門』(新潮社)のP.194.からの引用。

肉体の復権

ところで,この時代にニーチェは,しきりに精神に対する肉体の優位を主張しています。

「本質的なことは,肉体から出発し,それを手引きとして利用することである。・・・肉体を信じることは精神を信じることよりもずっとしっかりとした根拠をもっている。」

「肉体という現象は,より豊かな,より見透しのきく,より捉えやすい現象である。だから・・・肉体に方法上の優先権を与えるべきである。」

これも明らかに,デカルトが『方法序説』第四部で「精神は身体よりもはるかに容易に認識されるものである」と言っているのを逆手にとった言い方ですし,ここで「手引き」とか「方法」と言われているのは,世界解釈のための手引き,方法という意味に違いありません。プラトンやデカルトが典型的なかたちでおこなったような,肉体から浄化された「精神」を手引きにした超自然的(=形而上学的)な世界解釈を否定して,肉体を手引きとする新たな世界解釈をニーチェは提唱しようとしているのです。

それというのも,芸術がなににも増して肉体の所業だからにほかなりません。ニーチェも,「芸術は溌剌と花開く肉体性が形象や願望の世界へと溢れ出,流れ出ることだ」と主張し,芸術において肉体に開かれる世界の姿を見とどけようというのです。こうしてニーチェは,肉体の機能,生の機能の最高次の実現である芸術を精神の圧制から解放し,認識に対するその優位を復権することこそがニヒリズム克服の決定的な処方だと見ていたように思われます。

「われわれの宗教・道徳・哲学は,人間のデカダンス形式である。――その反対運動が,すなわち芸術。」

「芸術は生の否定へのすべての意志に対する無比に卓越した対抗力にほかならない。すぐれて反キリスト教的,反仏教的,反ニヒリズム的なものにほかならない。」

以上。

_ さてはて,この木田元さんの文章をどのように読み取るべきか,なんだか,わたし自身は嬉しくて仕方がありません。それいけワッショイ,と声をかけたくなってしまいます。

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2008-09-06 今朝の計量で59キロ。

_ 太極拳をやるときに,左脚の脚力が弱いために,左脚に全体重を乗せたときにバランスを崩すことが多い。これをなんとか克服したいと考え,一つは脚力を強くするための運動をすること,もう一つは体重を軽くすること,の二つを目標にかかげて3カ月が経過。

脚力の方は運動の仕方がずさんなためか,なかなかもどらない。しかし,体重の方は,ずさんな食事の仕方が効果的で,あれよあれよという間に落ちていく。ずさんさの両義性に驚いている。一ついいことがあれば,一つは悪いことにつながっている。

体重の方は,なんとか60キロの下に入りたいと思っていたので,こちらはなんとか目標を達成である。しかし,ずさんな運動をしていたのでは脚力は回復しない。とすれば,運動は律儀に,食事はずさんに,と使い分けることが必要になってくる。人間,そんなに器用に使い分けができる人は,そんなには多くあるまい。わたしは,その点では,自慢ではないが不器用である。ずさんな性格はなにをやってもずさんである。ずさんな性格であるということを知っているから,それを見破られないように必死で隠す。そして,いかにも几帳面であるかのようにふるまう。でも,所詮は一時の努力でしかないので,すぐにバレてしまう。仕方ないか。

まあ,こうなったら,ずさんに太極拳の稽古でもすることにしよう。やらないよりはいい,という発想で。こちらは,最近,少しだけ面白くなってきているので,ずさんながらもやれそうな気がする。あんまり無理をすると駄目なので,気ままにやることにしよう。

とりわけ,太極拳に気負いは敵である。むしろ,「抜く」ことが肝要。あるいは,「ゆるめる」こと。「股関節をゆるめなさい」という李老師のことばが,まだ,頭のレベルでしかわかっていない。少しだけでもいいから,からだのレベルでわかりたい。

「腕の力を抜きなさい」「お尻を巻き込みなさい」「腰を回転させなさい」「かかとの力を手の指先まで伝えなさい」,などなど。からだでわからないとできないことばかり。やはり,もう少し稽古の回数を増やさないと,からだは理解してくれないのだろう。

ニーチェも言っているとおり。からだの論理を優先させよ,と。理性に頼っては駄目だ,と。こちらも頭ではわかるのだが,からだでわかるにはまだまだ修行が足りない。

まあ,いいか。のんびりやろう。力まない。力まない。

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2008-09-07 芥川賞を読む。

_ ことしの芥川賞は初の中国人作家ということで話題を呼んだ。いわずとしれた楊逸さんの『時が滲む朝』だ。

掲載誌である『文藝春秋』を買ってきてすぐに一度読んだ。文化大革命に直接かかわった大学生たちの実態を垣間見ることができて,わたしにはとても勉強になった。

今日,仕事が予想以上にはかどったので,そのご褒美に,もう一度読んでみた。やはりいい。近頃,オリンピックも含めて,中国とはいかなる国なのか,そして,いかなる国民なのか,ということを考えつづけていたので,なおさらいい勉強になった。これから中国が,いよいよ世界史の主役となって躍り出ようという時期だけに,われわれはもっともっと中国について知っておく必要があろう。

物語の粗筋は以下のとおりである。

真面目な,そして,純粋な情熱をもって,これから大いに勉強しようと張り切って入学した大学生が主人公。入学してすぐに,魅力的な教授の授業を受け,大いに感銘する。そして,この教授の主張に共鳴して,それを社会に向けてぶつけていく。つまり,デモを行う。そして,一時は労働者からも支持を受けながらも,時の権力にとって都合が悪くなると,いとも簡単に紅衛兵によって排除されてしまう。そして,かろうじて生き残ったものの,大学は退学となる。こうした挫折を経て,主人公は生きるために悪戦苦闘する。しかし,とうとう中国には自分の居場所がみつからず,親しくしていた日本人残留孤児の女性と結婚して,日本にやってくる。ここでも,自分の主義主張を貫くべく中国人の組織の人間として頑張り,自分のポジションを確保しようとするのだが,そこでもまた夢破れていく。現実と理想とのギャップを埋めることができなくて悩む一人の中国人青年の姿が,わたしには痛ましいほどよくわかる。

近頃の若い作家が書きまくる軽薄な小説にくらべたら,はるかに読みごたえのある立派な小説だと思う。第一,読み手をドキドキさせてくれる。そして,なにより新しい発見がある。日本語に難点があると指摘した審査員が何人かいるが,そんなことを吹っ飛ばすほどの内容がある。

にもかかわらず,この作品を酷評したのは石原慎太郎と村上龍と宮本輝の3人。石原慎太郎にいたっては「単なる風俗小説の域を出ていない」と頭から否定的だ。とてつもない偏見をそこに感じてしまうのは,わたしの方の偏見なのだろうか。いずれにしても敵意のようなものさえ感じてしまう。この男,どこかポイントが一つ狂っている。もはや,作家の看板ははずした方がいい。いつまでも『太陽の季節』はつづかない。いまや『月の季節』なのに。

こうした男性作家の審査員に引き換え,女性作家の審査員は真っ正面からこの作品を評価していて好感がもてる。もっとも高く評価しているのは,高樹のぶ子。もう絶賛である。日本にもこの小説の主人公のような挫折を味わった若者たちがわんさといたではないか,と共感する。わたしも同感である。わたし自身も,そういう若者の一人であったし,そういう若者たちと熱い議論を交わしていた時代がある。だから,この主人公は他人事ではないのだ。かつて,その挫折を味わった世代が,やがて還暦を迎えようとしている。

川上弘美の選評は優しさに満ちあふれていて,とても気持ちがいい。この人の品格が透けてみえてくる思いだ。その品格が作品にも現れていると思う。だから,わたしは彼女の作品が好きなのかもしれない。『蛇を踏む』という初期の作品を読んだときの鳥肌の立つ戦慄を,いまも思い出す。『先生の鞄』『真鶴』などなど。

さて,楊逸さんは「書きたいことがいっぱいある人だ」と多くの審査員が書いている。わたしもそうだと思う。これから書くたびに変身していくであろう楊逸という作家が,どんな作品を生み出していくか,ほんとうに楽しみである。そういうことを充分に予感させるほどの濃密な時間を生きてきている。それらをみんな肥やしにして,これからの小説が誕生することになるだろう。わたしは心の底から期待している。そういう作家の誕生なのだ。単なる中国人作家ではない。人間としての魅力がいっぱいなのだ。

いつになく興奮している。まあいいとするか。たまにはこういうこともあってもいい,と。これもまた至福のとき。

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2008-09-08 ダライ・ラマについての認識の違い

_ オグレディ民恵という人の書いた「ラマちゃん」というエッセイを読んでいたら,これは・・・と思うことが書いてあった。

出典は『連続無窮』。この冊子は,阿満利麿さんが主宰する「連続無窮の会」が発行しているもの。西谷修さんが阿満利麿さんと対談している記事が掲載されているので,太極拳の稽古の日(9月3日)にわたしにプレゼントしてくれた。「宗教はグローバリゼーションに何を言いうるか」という魅力的な対談なきだが,この話はいつか書いてみたいと思う。今回は,「ラマちゃん」。

「ラマちゃん」とは,ダライ・ラマのこと。オグレディ民恵さんは名前のとおり,アメリカ在住の人。ことしの4月に,ダライ・ラマがミシガン大学の主催で環境問題の講演をしたときの,これはとっておきの話。ちょっと長いが,引用してよみう。

「当日,講演の開かれるミシガンスタジアムに近づいてゆくと,ヘリコプターの音が聞こえる。『仏僧のくせに,ヘリコプターまで出すなんて,ちょっと派手すぎるなぁ・・・・』なんて思いながらスタジアムに近づくと,赤の集団が見えるではないか。中国の国旗を振り回し,オリンピック五輪のTシャツを着た中国人の集団である。例のヘリコプターから『ダライラマ,オリンピックを妨害するのはやめろ!』という垂れ幕がぶら下がっている。ヘリコプターはダライラマに抗議をしている中国人の側から出されたものであることがここでわかった。それにしても,いったいどこからこんなに集まってきたのだというほどの数の中国人がスタジアムに行くには通らなければならない道にびっしりと並んでいる。小さい女の子まで”Go! Beijing(北京)!!”と叫んでいる。私は正直言って,圧倒されてしまった。」

ここから始まって,このエッセイは意外な展開をみせる。要約すると,つぎのようである。ダライラマは「環境問題」の講演をしにきて,もっぱら環境を語って帰っていった。「ラマちゃん」はひたすら無駄づかいを慎もう,貧しくてもいい,他人を思いやるこころの豊かさを大事にしよう,と呼びかけた。ただ,それだけだった。にもかかわらず,これが,どうして「オリンピックの妨害」になるのか,理解できないというのがオグレディさんの最初の主張だ。しかし,いろいろと推論を重ねるうちに,「なるほど」と理解する。それは,つぎのように語られる。

「そういえば,中国はチベットのラサにホテルやショッピングセンターを建てるなど,チベットの近代化にかなり力を入れてきていることで知られている。『チャイナネット』によると,チベット地区の昨年の経済成長率は13.2パーセントであり,中国全体の成長率10.5パーセントを上回っている。これは,チベット人のダライラマ的な価値を壊し,便利な生活から戻れなくなるようにすることで,独立運動を抑えようとしている意図が裏にあるのではないか。」

わたしも,ここまで読んできて,納得。なるほど,そういう戦略があったか,と。それは,中国政府が展開している中国人のチベット移住計画と同じ路線である。なぜなら,いずれは住民投票をして,チベットは中国のものだ,ということを正当化する必要があるからだ。こんなことを意図的・計画的にやってのける国家であることを,わたしたちはあまりに知らなすぎる。第一,中国共産党軍がチベットに侵入していったのは,1953年。毛沢東革命が1949年だから,4年後にはチベット併合を実行に移していたのである。そこから,こんにちまで,すでに半世紀がすぎている。

わたしたちは,お隣の国をもっともっと勉強し,どういう国であるのか,その歴史や文化を知る必要がある。あまりにも無知で,恥ずかしい。

それにしても,聖火リレーでの騒動もふくめ,あの赤の軍団の出現は,まるで第二次世界大戦のときのわれわれ日本人の姿とほとんど変わらない。やはり,開かれた国になるには時間が必要なのだろう。長い眼で,日中友好の道を開いていくしか方法はないのだろう。

中国という国家の存在は,これからますます世界にとって眼の離せないものになっていくことは,間違いない。だとしたら,われわれがまずは学ぶしかなかろう。それからだ。

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2008-09-09 シュタイナー学校をつくろうという人

_ ちょっとしたご縁があって,シュタイナー学校をつくろうとしている人に会ってきた。

学校法人あしたの国ルドルフ・シュタイナー学園を2009年に千葉県の長南町につくるために準備をすすめているという。日本橋の事務所を訪ねたら,すでに先客がいて,話は盛り上がっていた。すぐに,その中心人物はわかった。なぜなら,顔がいいし,そういう雰囲気を醸し出している。やはり,こういう夢のある仕事を追いかけている人間というものは,どこか違う。そこにきていたお客さんも,あとで話を聞いてみると,ただものではない。とんでもない人なのだ。でも,迎える人とお客さんとはおのずから立場が違う。そうすると,自然に,主役がだれであるかはわかるものである。どの世界でも大物は大物の顔をもっているし,そういう雰囲気をもっている。

シュタイナー・シューレのことは,子安美智子さんが日本に紹介して,すでに久しい。わたしはなにも知らずに,本屋さんで立ち読みしているうちに,これはすごいことが書いてあると直観して,すぐに購入。家に帰ってからじっくりよんで,びっくり仰天した記憶がある。まあ,簡単に言ってしまえば,神秘主義にもとづく新しい学校なのである。近代の学校教育とはまったく違う観点から教育を立ち上げている。人間の知性というものは,一番,最後にととのえればいいのであって,まずは,意志の教育,つぎに情緒の教育,そのつぎが知性というように考えている。これにはいろいろ意見もあるところではあるが,それに真っ正面から異論を唱える人はいない。いな,できないのである。それほどに教育理論がうまくできている。

21世紀の教育は,ひょっとしたらこのシュタイナー教育に向かうのではないかと思う。また,そうあるべきだとわたしは考えている。しかし,一般の学校教育がそうなるには時間が必要だろう。でも,日本という国は,いざ,それがいい,となると一斉にみんなそちらに向かう傾向があるので,そうなりそうな気もする。この話は,いつか,きちんと筋道を立ててその長所・短所について書いてみたいとおもう。

まあ,それよりも,今日はとんでもない人生を送っている人たちに会って,いささか目眩を感じている。いまでは,大抵の人に会っても驚かなくなってきたつもりだが,いやいや,世の中には,まだまだ驚くべき人生を切り開いている人たちがいるものだ。

いくつになっても勉強,勉強。だから生きているのが楽しいのかも。

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2008-09-11 楽天の日々

_ 古井由吉が,このタイトルのエッセイを毎日新聞の9月10日の朝刊に寄せている。内容は,人類が直立して二足歩行に移行することによって得たメリットと,それによって失ったデメリットについて,わかりやすく解説したもの。

このエッセイの後段につぎのような文章がある。

「北国の晩夏の牧場に,風に向かってじっと立っている老馬がいた。もう昔のことだ。痩せて肋骨が浮き出て,首も細り,そればかりが大きく見える頭を,草をなびかけて寄せる風と,草の穂先を赤く染めて射す夕日とに,あずけるようにのべて,足の踏みかえもしない。ときたま,かすかに身をゆするのが,風邪の伝える何かの声に答えているふうに見えた。

まもなく亡くなったと聞いた時,その姿があらためてまのあたりに浮かんで,ああ,風に吹き抜けられている,風になびく草の穂に変わりもない,それでいて,寄せる風を分けて彼方へ,立ちながらに入っていく,とうらやんだ。それにひきかえ人間は最後の間際まで,一個の内に閉じこめられる,と思って堪えがたくなった。これも直立したむくいになるのだろうか。」

これだけの引用では,ちょっと理解していただけないかもしれない。だから,ちょっとだけ,私見をまじえながら補足をしておくと,以下のようである。

野生の馬は,牧草を食むとき,風上に頭をむけて立っているという。だから,群れをなしているときには,みんな風上に頭を向けて,同じ姿勢で立っているという。そういわれてみれば,放牧されている馬はみんな同じ方向を向いて草を食んでいたなぁ,と思い出す。その馬たちが,寿命がきたときも相変わらず風に頭を向けて草を食みながら,忽然と死を迎える。そのときの情景を「風に吹きぬけられている」と古井氏はとらえる。「それでいて,寄せる風を分けて彼方へ,立ちながらに入っていく」という。それが羨ましい,と。

この感性をわたしたちは忘れてしまっているのではないか,と暗に指摘している。なにか,とんでもない指摘に出会って,しばらくはことばもない。

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2008-09-12 風に吹き抜けられる身体

_ 昨日のブログで書いた古井由吉のエッセイのなかにある「風に吹き抜けられる」という表現が,今日も一日,頭のなかを駆けめぐっていた。

死を目前にしても慌て騒ぐこともなく,ただ当たり前のごとく「風に吹き抜けられる」ようにして立ちつづける馬の姿が脳裏から消えない。「風になびく草の穂に変わりもない」・・・草の穂はいつものように風になびいている,太古のむかしから変わることのない大自然のいとなみが,いつものように繰り広げられている。「それでいて,寄せる風を分けて彼方へ,立ちながらに入っていく」・・・吹き寄せてくる風に頭を向けて立っているだけなのに,その風を分けて進んでいくかのように死に接近していく。それを「うらやましい」と古井氏は感じ取っている。こういう死の迎え方を人間は直立して,二足歩行するようになって,どこかに置き忘れてきてしまった。これぞ「直立したむくい」だろうか,と。

生き仏になる,という生き方があった。いまは,法律で禁止されているという。近代という時代は,人間の生き死にの領域にまで,国家が口をだすようになった時代である。みずからの意志で食を断ち,水だけを飲みつづけ,からだが衰弱していくと同時に精神がかぎりなく透明化していくことを楽しみながら,坐禅をし,枯れ木が倒れるように死を迎える・・・これが生き仏としての最後の生の表現。この生き方を,国家権力は認めない。その根拠はどこにあるのか,一度,しっかりと見極めてみたいと思う。

今日,久しぶりにタクシーに乗った。後部座席もシートベルトが義務化されるという。いまは,試行期間だそうで,いずれ法律で罰せられるようになるという。どうして,こんなことまで法律で規制しなくてはならないのか,わたしのような凡才にはわからない。

これもまた,近代という時代が到達した一つの臨界点ではないか,と口ごもってみる。

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2008-09-16 還暦を迎えた教え子たち。

_ 結婚してまもないころ,ソニー厚木学園高等学校というところで非常勤講師をしていたことがある。そのときの教え子たちが還暦を迎えたという。そのお祝いの会に招かれ,一泊を共にしながら旧交を温めた。

ソニー厚木学園は,文字どおり,ソニー厚木工場内につくられたいわゆる企業内学校である。いまから45年前の話である。その当時,15歳だった彼女たちは東北や新潟方面から中学を卒業して,すぐにソニーに就職し,寮生活(全寮制)をしながら工場ではたらき,なおかつ学校に通って勉強するというハードな生活を送っていた。みんな選りすぐりの女性たちだった。ただ,家庭の事情で高等学校に進学できなかっただけで,成績はきわめて優秀だった。なかには,生活できる最小限の金だけを手元に残して,あとは全部,家に仕送りしているという生徒もいた。あるいは,せっせと貯金をして,勉強し,大学に進学して高等学校の教員になった子もいた。そういう子たちが,いまや,還暦を迎えたという。びっくり仰天である。

わたしは非常勤講師であったが,この学園は職員会議にも参加を義務づけらり,担任まで持たせてくれた。わたしもまだ若かったので,かなり力を注いで取り組んだ記憶がある。ある意味で極限状態で生きている彼女たちの姿勢は,いい加減なごまかしを許してはくれなかった。だから,こちらも真剣勝負である。双方ともに気合いが入っていた。

若いときに苦労した人間は,その後の人生も軸がぶれることなく,我慢にがまんを重ねつつも,素晴らしい人生を切り開いている。そのほとんどが働きながら家庭の主婦をつとめ,子育てをし,いまでもまだ仕事をもっているという。そして,いまも眼がキラキラと輝いている。久しぶりに生き生きとした人間集団に出会い,エネルギーをたくさんいただいた。至福のひとときである。

自分の年齢を忘れ,彼女たちと同じような気分で,存分に語り合った一夜であった。こんな機会にこれから何回出会うことができるのだろうか。それにしても,丈夫で長生きしなければ,こんなチャンスは巡ってはこないだろう。お互いに,健康を誓い合って散会。いい思い出が一つ生まれた。ありがたいことだ。

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2008-09-17 芥川賞,直木賞選定の舞台裏

_ 『文藝春秋』『オール読物』にそれぞれ芥川賞と直木賞の作品が掲載されたので,読んでみた。つくづく思うことは,賞の決定までの奇々怪々である。そして,それぞれの対象作品を選出することの困難である。

毎年のように,この時期になるとそれぞれの賞を獲得した小説が話題になる。芥川賞作品については,すでに,このブログでも書いたとおりである。直木賞作品は,井上荒野の『切羽へ』。簡単に言ってしまえば,男と女の関係性の微妙な心理を,繊細に描いた作品としてなかなか面白かった。小さな島で暮らす静かな日常のなかに,外から男が移り住むことによって起こる,ごく自然な男女の感情異変。作品のよしあしはともかくとして,わたしが興味をもったのは,この作品を直木賞に選出するまでの,あくまでも推定の域をでないが,そのプロセスである。

そもそも,この賞がどのような手続によって選出されるのか詳しいことは知らない。『オール読物』に書かれている範囲で想像できることは,7〜8編の小説がノミネートされ,それを直木賞選定委員と呼ばれる作家たちが読んできて,議論と投票を繰り返しながら絞り込んでいく。まず,候補作品を3編に絞り込んでから,さらに議論をして,投票して決めていくようだ。

面白いのは,委員の意見が,最初はバラバラに分かれているということだ。言ってしまえば,すべての候補作品が1〜2票ずつに分かれてしまう,ということ。だから,早くいえば,だれが賞をもらっても不思議ではない,ということ。それほどに評価は分かれている。

芥川賞の委員の評は,とても短いものだったが,直木賞の委員の評はかなり長い。だから,その委員がどのような経緯で,最終的な意志決定をしたか,ということが透けてみえてくる。だから,委員の評をよくよく読んでみると,その舞台裏も透けてみえてくる。

そこでわかってくることは,文学賞の選出に当たって,すんなり決まるということの方がむしろ例外的であって,ふつうはみんなバラバラに意見が分かれてしまう,という事実。それを議論をとおして,少しずつ微調整していく。そこでは作家としての発言力の差がものを言うらしい。かつては,委員の間で罵詈雑言が飛び交い,大変な激論が展開し,いまにも掴み合いになりそうなこともしばしばであったという。それほどまでに文学の評価というものは個人差が大きいということである。それでも最終的にはなんらかの理由で,その年の賞は決まっていく。しかも,毎年,真っ二つに意見が割れて,最終投票では僅差になることが多いという。

こうなってくると,賞の決定ということは,ほとんど運が左右していて,実力はノミネートされるまでの話のように思われてくる。つまり,確固たる根拠はないのである。その場の力関係によって,あるいは,情緒的な雰囲気の流れのようなものによって,ほとんど弾みで決まってしまう。

なにを言いたいのか。文学賞の選出に民主主義はほとんど意味をなさない,ということ。同じように,文化系のアカデミズムの賞も同じ。

民主主義の適用範囲については,もっともっと慎重でなくてはならない,と最近しみじみと思う。

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2008-09-18 『無の道を生きる』を読む。

_ 久しぶりに「禅」の本を読む。有馬頼底著,集英社新書,2008年9月刊。

著者は,名前のとおり有馬伯爵の末裔。競馬の有馬記念や有馬温泉の由来となる旧大名の子孫。京都の相国寺,金閣寺,銀閣寺の三つの寺の住職。臨済宗相国寺派7代管長。国民学校卒業。

人間にとって真実はたった二つ。生まれることと死ぬこと。そして,すべての人間にとって平等なことはたった一つ。生まれることと死ぬこと。

「本来無一物」「山川草木悉皆成仏」「黙」といったよく知られた仏教用語をじつにわかりやすく解説してくれる。その簡単明瞭さをとおして,この禅僧の到達した境地が透けて見えてくる。久しぶりに気分が爽快になる本であった。やはり,仏教はいいなぁ,と思う。そして,やはり,禅仏教がわたしには合っているなぁ,と思う。どこかに坐禅に行きたくなってきた。しばらく封印をしておいた衝動のようなものが蠢きはじめているのがわかる。ちょっと大変な出会いかも・・・・。

この本の最後のところに,白隠禅師坐禅和讃が紹介されている。その中の終わりの方に「無二無三」ということばを見つけて,一瞬,わが眼を疑う。このことばがここにでてくるとは・・・・。

まったく個人的な思い出が,このことばに出会って一気に蘇ってきた。わたしが尊敬してやまない伯父に禅僧がいた。どんなことが起きても驚かない,そういう達観した人だった。その伯父の寺の本堂の一番奥の歴代和尚の仏壇が飾ってある部屋の入り口の鴨居に,この「無二無三」と書かれた額がかかっている。もちろん,この伯父が書いたものを彫ったものだ。そして,まだ,わたしが中学生くらいの時に,このことばの意味を伯父に問うたことがある。そのときの答えは,きわめて簡単だった。「二も三もない。真実は一つだ」と。「それ以上のことは大きくなればわかる」と。

そんなものかなぁ・・・とぼんやり思いつづけてきた。しかし,こんにちまで「これだ」という確信には至らなかった。それが,今日,閃いたのである。嬉しかった。

このことばのコンテクストはつぎのようになっている。

「因果一如(いんがいちにょ)の門(もん)ひらけ 無二無三(むにむさん)の道直(みちなお)し 無相(むそう)の相(そう)を相(そう)として・・・」というようにつづく。

伯父の名前は「一道」。わたしの祖父がつけた名前だという。わたしの父の名前は「戒心」。これも祖父がつけたという。祖父はなかなかの知識人で,名づけにもこころを砕いた痕跡が伺える。「一道」も「戒心」も,わたしなりに調べて知っていたつもりである。しかし,それは仏教辞典での理解のレベルだった。しかし,今日,ようやく啓示が降りた。

「因果一如の門ひらけ 無二無三の道直し」・・・これこそが「一道」の意味だ,と。「無二無三」の額は,なんのことはない「一道」の名前を書き換えただけの話ではないか。もっと言ってしまえば,まさに悟りの道が開けてきた心境をみずからの名前に託して,「無二無三」と表現したわけだ。しかも,白隠禅師の坐禅和讃のなかから引用して・・・・。

そういえば,伯父が晩年になって,「この字は勢いがありすぎる。まだまだ青いなぁ」とひとりごとのようにつぶやいていたのを思い出す。たぶん,晩年にはもっともっと深い境地に立っていたのだろう,と思う。

死を迎えるときも,朝ご飯をいつものとおり食べて,ちょっと横になると言って,そのまま目覚めることなく大往生。死に際のみごとさ。

この大好きな伯父のことが走馬灯のように蘇ってくる。いま,生きていたら一番に会いたい人。

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2008-09-19 多動性症候群,だなんて。

_ しばらく前から小学校の低学年の教室で,授業中,子どもたちが走り回っていて,授業にならないという。この子どもたちを称して「多動性症候群」と言うそうな。なんでも都合の悪いものはみんな「病気」にして封じ込めないと納得しない大人の勝手な論理。

授業中にじっとしていられない子どもたちはいったいどのようにして育つのだろうか,と以前から考えていた。これといった手がかりもないが,ひょっとしたら,と思うことはある。たとえば,大学の授業中におしゃべりばかりしていて,講義を聞こうとしない学生。いまや,東大生も同じだという。つまり,自分の興味・関心からはずれることにはいっさい耳を傾けようとはしない。かつて,院生を対象にした研究会をやっていたことがあるが,自分が発表したいときだけやってきて,それ以外には参加しない。自分の発表が終わると,つぎの人の発表はもう聞いてはいない。もちろん,質問もしない。場合によっては,途中で帰ってしまう。

どうやら,過保護で育ち,わがままいっぱいをとおしてきた人間に共通しているようだ。もう,大王様そのものだ。

そのはしりは「ベビーカー」ではないか,と最近,考える。このところ急激にこの「ベビーカー」が増えてきているように思う。電車のなかも,デパートのなかも,どこに行ってもヤングママが押す「ベビーカー」が目につく。このヤングママがまた凄まじい。どんなに混雑していようと平気で「ベビーカー」を押して直進してくる。さも,当然の権利でもあるかのように。デパートのエレベーターには「ベビーカー優先」という立て札の立っているところもある。にもかかわらず,それには乗らないで,一般のエレベーターに割り込むようにして乗り込んでくる。

「ベビーカー」に乗っている子どもをみると,かなり大きな子どもが乗っていることがある。もう,幼稚園に行ってもいいかと思うほどよく育った大きな子どもが「でれーッ」と座っている。なかには降りて歩きたがっている子どももみかける。しかし,親は絶対に許さない。ここに乗せておいた方が,自分が楽だから。こんな風にして育つ子どもが,やがて幼稚園に行き,小学校に行く。あっという間に大学生になり,院生にもなる。

子どもは歩けるようになると,やたらに,あちこち歩きたがる。そして,ものに突き当たったり,段差で転んだり,さまざまな痛い目にあって,からだをとおして大事なことを学んでいく。そのむかし,『人生で大事なことは砂場ですべて学んだ』という本がでて,ベストセラーになったことがある。親や先生の監視のゆきとどかない「砂場」(いまでは,もはや不可能だが)で,子どもたちだけの遊びをとおして「人生で大事なこと」を学んだというのである。

おそらく,幼稚園に行くまで「ベビーカー」に縛られたままの子どもたちは,もっとも大事なことを学ぶ機会を逸している。それでも世の中は,自分を中心に動いていると信じている。第一,痛い目にあったことがない。優等生(ここでは,ただ,偏差値が高いという意味)になればなるほど,自己中心主義のまま大きくなってしまう。世の中のルールをなにも知らないで大きくなってしまう。

こういう社会をつくることに,わたしもどこかで貢献していたのかと思うと背筋が寒くなる。どこかの出発点で,なにかが一つ狂ってしまったのだろう。かつて,松田道雄さんが「ボタンのかけ違い論」を展開したことがあった。上着の一番下のボタンを二番目のボタン穴にかけてしまった。それに気づかないまま,順番に上までかけてきたら,一つボタン穴が余ってしまった。一つ,ひとつのボタンとボタン穴はなんの矛盾もなく,ぴったりと嵌まる。部分においては整合性がある。しかし,全体でみると,おおいに狂ってしまっていることを,松田道雄さんは指摘したのだ。現代社会はそういう社会だ,と。つまり,気づかないうちに大きな間違いに到達してしまう。気づいたときはすでに遅し,ということ。

歩けるようになった子どもはできるだけ「ベビーカー」から下ろして,みずからの足で歩かせる。ここからはじめるしかないか,と思う。

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2008-09-20 「スポーツ学」事始め

_ 最近,「スポーツ学」を具体化することを考えている。これまでは一つの学問論として,抽象的な空中戦を展開するだけに終わっていたが,いよいよこれを具体的に展開するとなると,ことは容易ではない。

「スポーツ学」の中核になるのは「スポーツ実践学」で,これを「スポーツ科学」と「スポーツ文化学」が支援する,つまり三位一体となったところで成立する学というのが基本的なわたしの考え方である。では,「スポーツ実践学」というものの内容をどのように構成するかとなると,いささかやっかいな問題が持ち上がってくる。

それは,これまでの学問の体系からはみ出したところに「スポーツ実践学」は位置づくからである。つまり,近代のアカデミズムの考え方の<外>にでることを意味するからである。したがって,そのためにはまったく新たなパラダイム・シフトが必要になってくる。ここがポイントとなる。ここをいかにして通過していくのか,そのための理論仮説はなにか,その上で「スポーツ実践学」の具体的な内容を提示しなければならない。

もう少し述べておけば,これまでの体育学やスポーツ科学が依拠してきた「親科学」に絡めとられることのない,まったく新たな「学」を構想することが「スポーツ実践学」の前提条件となる。もっと言ってしまえば,これまで経験と勘に頼ってきたと批難されるスポーツ現場の「経験知」を「学」のレベルにまで引き上げる,ということだ。しかし,これをやらないかぎり「スポーツ学」は成立しないし,ましてや「スポーツ実践学」は成立しない。

この道は,かつて,教育現場の体育の授業を展開するための理論的根拠となるべき「体育科教育」が「学」を獲得するにいたる道と通底している。しかしながら,こんにちの「体育科教育学」は,最終的には既成のアカデミズムの方法論に凭れかかることになってしまった。だから,相変わらず重箱の隅をつつくような議論ばかりが展開し,教育の根幹に迫る議論は生まれてこない。もっと,経験知を総括的に積み上げ,その上で「体育科教育」を論ずべきではないか,というのがわたしの考え方である。

「スポーツ実践学」は,少なくとも,この「体育科教育学」がはまり込んでしまった隘路だけは回避しなくてはならない。そのためにはどうすればいいのか,いま,わたしが考えていることここのところである。

スポーツ愛好者が,初心者から上級者まで,どのようなことを基本として身につけなくてはならないのか,どのようなスポーツ経験の正当性を知識と科学で裏づけていくのか,これがわたしの考える「スポーツ学」であり,その中核となる「スポーツ実践学」である。

いま,考えられることは,三つ。スポーツ愛好者のための「スポーツ学」,スポーツ指導者のための「スポーツ学」,スポーツ研究者のための「スポーツ学」,である。この程度の区分をしておかないと,論理的整合性がくずれてきてしまう。もっとも,これも現段階での考えであって,もう少し,考えを詰めていくと,また,新たな矛盾が生じてくるのかもしれない。

いまのところは,とりあえず試行錯誤的にさまざまな素案を描きながら,より矛盾の少ない「スポーツ学」の構想に向けて,思考を練り上げていく以外にはないのであろう。

でも,この作業はとても楽しいし,ワクワクする。未知の世界に一歩ずつ接近する喜びがある。行けるところまで行ってみようと思う。

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2008-09-21 <外へ>という啓示のようなもの。

_ 今朝,いつもよりも早めに目が覚め,まだ早いなぁと思いながらうつらうつらしていたら,突然,頭が透明になってきて,またたく間にいろいろのキー・ワードが閃いた。

「国際社会」,「キリスト教終末論」,「形而上学」,「経済力」,「軍事力」,「グローバル・スタンダード」,「スポーツ学」,「北京オリンピック」・・・など。そして,鮮明に<外へ>という,これは文字が浮かんだ。なにごとだろうとぼんやり考えていたら,一瞬にしてすべてが瓦解した。みんな根っこは同じなのだ。

「国際社会」が許さない,という表現がメディアでは当然のごとく使われていて,それがまるで「正義」でもあるかのようなメッセージを持ち込んでくる。しかし,「国際社会」というのはいったい何なのか。

お笑いのギャグではないが,単なる「欧米」にすぎないではないか。そして,になゆえに「欧米」が「国際社会」であり,なにゆえに「正義」なのか。その確たる根拠はどこにもない。もし,あるとしたら「キリスト教的終末論」でしかない。それが「正義」であるというのなら,「イスラム教的原理主義」もまた「正義」である。わが信ずる一神教の神が「正義」であるなら,同じように,もう一つの一神教の神もまた「正義」である。

木田元さんの『反哲学入門』の説く「形而上学」の<外へ>というメッセージがいまも強烈に残っている頭のなせる技というべきか,「形而上学」ということばがしきりに渦巻いている。そして,その<外へ>でるということはどういうことなのか,と考えつづけている。しかし,いまもアカデミズムの世界は「形而上学」の呪縛から解き放たれてはいない。歴史学の資料実証主義も同じである。しかし,木田元さんを通過してしまうと,もはや,資料実証主義もむなしいばかりの学問でしかない。

こうした「国際社会」や「キリスト教的終末論」や「形而上学」が,いまも世界を支配している背景には,やはりなんと言っても「経済力」と「軍事力」が控えている。文句があるなら,いつでも制裁を加えるぞ,とアメリカのこのところの行動は世界を震撼させている。アメリカのもつ「経済力」と「軍事力」の前で世界中が沈黙を守っている。われわれ日本人も,ちょっと変だがなぁ,とみんな思っていてもだれも口には出さない。忍耐の民はこのところもっと病気が悪化してしまって,とうとう腰抜け状態になってしまっている。病原菌は圧倒的なアメリカ一国支配菌。

このアメリカの「正義」がいつのまにか「グローバル・スタンダード」になりつつある。困ったものだ。

このように考えているところに,最近,考えている「スポーツ学」や「北京オリンピック」がからむ。いずれも,近日中にある答えを出さなくてはならない情況にあったので,助かった。

その答えこそが<外へ>なのだ。つまり,ヨーロッパ近代が構築してきた論理や制度やルールの<外へ>でる思考が,いま,求められているということ。21世紀に求められている課題は,ヨーロッパ近代が生み出した近代合理主義の考え方をいかに超克するか,そのためのカウンター・コンセプトはなにか。それが<外へ>だ。

「スポーツ学」も,近代アカデミズムの遺産をどのように継承しつつ,それを超克していくか,が問われている。やはり,近代アカデミズムの<外へ>はみ出していくしか方法はない。しかも,それこそが喫緊の課題なのだ。勇気をもって一歩を踏み出すしかない。百尺干頭一歩を出る,の勇気が。

最近,こんな「ひらめき」というか「啓示」のようなものが,ときどき起こる。とても嬉しい。もっと起きてほしいと願っている。が,どうしたらいいのか方法がない。ただ,「待つしかない」か。

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2008-09-22 論文の査読ということについて。

_ この数年,博士論文の指導に当たっていたので,院生たちには,まずは学会誌に論文を投稿して掲載してもらうことが先決だった。だから,院生たちの投稿した論文の査読結果をいくつも読み,つぎの指導にあたることになる。この査読結果の揺れ幅があまりにも大きくて,苦労している。

ひどいときには,二人の査読者のうち,一人は「A」判定(掲載可),もう一人は「C」判定(掲載不可)となり,第三査読者が「B」判定(条件付き掲載可)ということがある。たしかに判定の基準のようなものがあるわけではないので,多少のばらつきは仕方がないと思う。それにしても,「A」と「C」の判定が同時にでてくるということが不思議ではある。その結果,第三査読者が「A」であったり,「B」であったり,はたまた「C」であったり,と揺れ動く。

もっとひどいのは,判定の理由である。なかには,まことに当を得た指摘が懇切丁寧になされているものもある。が,こちらの方はごくまれである。大半は,ながながと物知り顔に判定の理由が書かれていて,しかも的がはずれていることがある。つまり,みずからの無知にも気がつかず,とんでもない間違った訂正要求をしてくる人もいる。もう時効だからいいと思うから,例をあげる。たとえば,「階層秩序的二項対立」ということばを用いた論文に対して,「こんなことばは聞いたことがない。学術論文なのだから,きちんと学会で承認された学術用語を用いるべきである」という訂正要求がきたことがある。わたしは注をつけるべきかなとは思ったが,こんなことばはもはや常識であると判断していた。しかし,あとでいろいろの人に聞いてみたら,ほとんどの人が知らないという。ああ,とため息がもれてしまった。ジャック・デリダも知らないで「近代批判」を展開する論文などというものは,いったいどういう意味があるというのだろうか。しかし,それがスポーツ史学会の会員の標準的レベルなのである。勉強不足もはなはだしい,としかいいようがない。だったら,査読者を引き受けるべきではない。断るという自覚もなければ,勇気もない。それどころか,わたしは一端の研究者だと信じて疑わない,その姿勢に唖然としてしまう。

これに類する例をあげていけば,わたしのところには際限もなくある。

もっとこわいのは,査読結果の理由について異議申し立てをする院生は皆無だということ。将来のことを考えると,そんなことはできない,という。いや,そんなことはない,男を挙げる絶好のチャンスだから・・・・,というのだが院生諸君はそうは考えない。おとなしく引き下がってしまう。そのために,博士論文の提出がどんどん遅れていってしまう。とりわけ,外国人留学生に多い。だから,気の毒で仕方がない。

査読を依頼されると急に自分が偉くなってしまう人も多いようだ。だから,査読のレベルがえらく高くなってしまって,理想論をとうとうと述べて,この論文のオリジナリティはきわめて低い,とかなんとかいって「C」判定にしてしまう。その点,ほんとうの実力者の判定はみごとである。かなりの問題点を抱え込んだ論文であっても,どこを,どのように直せばもっとよくなりますよ,という指導がついていて,そのとおりに直すと素晴らしい論文になるようにしてくれる。本来,査読者というのはそうであって欲しい。つまり,学会員のレベルが低かったらそれを高くする努力を惜しんではいけない。そして,少しでも多くの優秀な研究者を育てないと,いつまでたってもレベルの低い学会のままになってしまう。

みずから肝に銘すべし。

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2008-09-23 ゲンユウさんの『般若心経』

_ ゲンユウソウキュウさん(あえてカタカナ書きに)の『現代語訳般若心経』(ちくま新書)を読んだ。臨済宗の坊さんで作家という条件をフルに活かした作品で,読みごたえがあった。

わたし自身が曹洞宗の寺の出身ということもあって,『般若心経』には特別の思い入れがある。毎朝,父が「般若心経」を寺の本堂であげていた。われわれ子どもたち3人(男兄弟,わたしは3男)は本堂わきの部屋で寝ていて,お経が終わると同時に,父がわれわれの部屋に入ってくる。そのときに,われわれ3人はふとんをたたんで正座して「おはようございます」と挨拶をすることになっていた。もし,それに遅れると「罰則」が課せられることになっていた。だから,みんなお経がはじまると耳をそばだてていて,最後の「ギャアテイ,ギャアテイ・・・」がはじまると飛び起き,ふとんをたたんで正座したものである。だから,いつのまにか,「般若心経」は耳で覚えてしまった。文字をみたこともなし,ましてや,その意味も知らないまま,そらんじていた。こんなことでいいのだろうか,と成人してから反省し,ずいぶん多くの『般若心経』解説本を読むことになった。だから,おぼろげながらもお経の意味はほぼ理解しているつもりである。

しかし,ゲンユウさんの解説は,これまでのだれの解説本とも異色のものであった。解説というよりは,これは一つの「小説」になっている,と言った方が正しいだろう。それも,量子力学まで援用しながら,このお経の神髄を明らかにしてくれる。観音さまが舎利子に向かって,若者たちにはこのように説明してやって欲しい,という筋立てで,みごとな小説世界を構築している。これまで読んだ,どの解説本よりも説得力があって,「空」の意味内容や,お釈迦さんの説いた教えの根幹をわからせてくれる。こんなありがたい本に久しぶりに出会った。

内容に踏み込むと,これはもうエンドレスになってしまいそうなので,割愛する。いつか,また,機会をえて述べてみたいと思う。

ただ,ひとことだけ。以前,書いた「<外へ>」ということの正当性をも,このゲンユウさんの本は示唆している。それは,キリスト教文化圏のなかからしか生まれない「科学的思考」とは,まったく対極に位置づくものとして,仏教思想をおき,その典型的なものとして『般若心経』を置く。それはそれはみごとな論理展開である。作家の強みというべきか。こんな風に書いてくれる人は,ゲンユウさんをおいて他にいないだろう。

傑作である。

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2008-09-24 『メディア・コントロール』を読む

_ ノーム・チョムスキー著『メディア・コントロール』(集英社新書)を読む。サブタイトルは,「正義なき民主主義と国際社会」。

以前から気になっていた本の一つ。ようやく仕事に一区切りついたので,一気に読む。3部構成になっていて,2本のオリジナルな評論と,1本の対談からなる。

冒頭の評論が「メディア・コントロール」。こういうものを読むと,われわれがいかに「メディア」というものについて無知であるか,ということを思い知らされる。ナイーブだなぁ,とわれながら悲しくなってしまう。まあ,端的に言って,われわれはメディアにいいように操られているということ。その上での民主主義だから,国家権力にとってはまことに都合のいいものということになる。

アメリカのような国家は星条旗だけが共通のこころのよりどころでしかない多民族国家なので,つねに,内政問題を抱え込んでいる。国民の眼がそこに集中すると政権が危なくなるので,政府はつねにアメリカの「外に」恐怖を,意図的・計画的に創出する必要がある。その典型的なものが「テロとの戦い」というわけである。「9・11」はそのための絶好のチャンスだった,というのだ。だから,なにがなんでも「テロ撲滅運動」を展開しなければならない。このためには,国民のこころを一つにすることができる。なぜならば,それこそが「正義」だから。

アメリカのメディアはつねに「テロ」の情報を流しつづける。場合によっては,わざわざ「テロ」をでっち上げることまでやる。つまり,誤報を承知で流す。そうまでして,国民の愛国心を煽りつづける。メディアもメディアで,アメリカの国家にとって都合の悪い詳報はいっさい流さない。そういう事例を,チョムスキーはこれでもか,これでもかと挙げていく。途中で読むのがいやになってしまうほど,アメリカ政府のやり方はあくどい。そして,それに盲目的に協力する知識人こそ許せない,とチョムスキーは怒る。

振り返って,日本のメディアはどうか。大同小異というべきか,場合によっては,もっともっと腰抜けと言うべきか。なぜなら,日本の政府を気遣うよりは,アメリカ政府にいいようにあやつられているとしか思えないからだ。テロに関する情報も,ほとんど,右へならえである。

北京オリンピックの初日に合わせるかのようにしてロシアがグルジアに戦闘を仕掛けたときもそうだ。最初の報道のときだけ,小さく「グルジアがじわじわと侵攻をつづけていたので,それに対してロシア軍が反発したのだ」と解説があった。しかし,以後,この手の情報はいっさい流さなくなってしまった。そして,アメリカを筆頭とする「国際社会」が,ロシアの戦闘を批難しはじめると,日本のメディアも足並みを揃えるかのように,ロシア叩きをはじめた。そして,いつのまにかロシアが国際社会から孤立しているかのごとき報道になっていく。こうして,われわれ国民は無意識のうちにロシアは悪い国だというイメージを形成させられてしまう。

これは,「テロとの戦い」も同じだ。イラクのフセインを育てたのはアメリカである。もっと言ってしまえば,ブッシュ・ジュニアの父親である。オサマ・ビンラディンも同じである。全部,アメリカのCIAが育てた友軍だった。そして,充分にその機能をはたしたら,こんどは「切り捨て」である。この怒りをどのように表現したらいいのか。テロしかないではないか。だから,「9・11」は起こるべくして起こったのだ。アメリカがみずから蒔いた種が育ちすぎて,復讐してきただけのことだ。

この事実を,メディアはひた隠しにする。なぜか。アメリカが怖いからだ。こうして「国際社会」なるものの合意が形成されていく。恐ろしい仕組みた。しかも,その合意が「民主的」になされていく。民主主義という「暴力装置」こそが,いま,問われはじめている。

では,どうしたらいいのか。チョムスキーは簡単に答える。知識人が勇気を奮い起こして立ち上がるしかないのだ,と。耳が痛い。耳が痛くならないように,行動を起こすしかない,ということ。自戒を込めて,そう思う。

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2008-09-26 「国際社会」とは?

_ 最近,気になることばがいくつかある。「国際社会」というのもそのうちの一つ。ロシアのグルジアへの侵攻は「国際社会」が許さない,という。

この場合の「国際社会」は,あきらかにアメリカを中心とする仲良しクラブのことだ。第一,ロシアのグルジアへの侵攻ではなくて,アメリカ+グルジアによる二つの自治州への侵攻があったので,それに対して国連に承認されたロシアの監視軍が反発しただけのことだ。このことを日本のメディアはきちんと報道しないで,ロシア軍の侵攻だけをとりあげ,「国際社会」が許さない,と騒ぎ立てた。にもかかわらず,アメリカはロシア軍の侵攻に対して,グルジアを助けようとはしなかった。自分たちに「非」があるからである。最後は,フランスが間に入って調整をした。それでも,日本のメディアはロシアを悪者扱いにしたままである。アメリカにとって,日本のメディアはまことに優等生である。とはいえ,裏では相当にアメリカのプレッシャーがかかっている,という話も聞くが・・・・。

一番不思議なのは,イスラエルによるパレスチナに対する一方的な爆撃に対して,「国際社会」はなにも反応しないことだ。アメリカがイスラエルを支持しているから。ロシアも中国も,声高な批判はしない。なぜなら,自分たちも同じようなことをやっているからだ。

チベットはいつから中国の領土になったのか。「国際社会」はいつからそれを認めたのか。わたしの記憶に間違いがなければ,中国がチベットを実質的に支配した事実は,どの時代にもなかった。にもかかわらず,中国はチベットをむかしから固有の領土だと言ってはばからない。一方的に,わが国の領土だと宣言してしまえば,それで済む問題ではない。こんなことは,ちょっと,なにかで調べればすぐにわかることだ。

中国共産党軍がチベットに武力によって侵攻をはじめたのは1950年からだ(もっと早い,という説もある)。そして,大量の漢民族を首都ラサに移住させ,しかも,ラサの若い女性たちを北京や上海の工場労働者として移住させた,という事実がある。なぜか。ラサにおけるチベット人の人口を増やさなくすること。そして,ついには(何年か前に),ラサにおける人口比は,漢民族が過半数を越えた。これはなにを意味しているのか。いつかやってくるであろう「国際社会」からの批判に対して,住民投票による意志決定に備えているのだ。みごとな長期的戦略としかいいようがない。もちろん,中国がチベットを領有する意図は他にもある。

よく知られているものの一つは天然資源の確保であり,もう一つは核施設の設置である。

詳しく調べていってみると,もっともっと手のこんだ施策を中国はとっている。たとえば,パンダ。あのパンダが,いまでは中国四川省が原産だということになっている。しかし,もともとはチベットが原産である。にもかかわらず,この事実をじつにみごとにすり替えてしまったのだ。どのようにして?1950年以後に,パンダの棲息地であるチベット固有の地域を中国四川省に統合して,しかも,四川省の首都である成都にパンダ保護センターを設立し,観光の名所に仕立て上げたのである。日本にやってきたパンダも成都から送り込まれたことになっている。われわれの知識はここからはじまっているので,当初から,パンダは中国原産,と信じ込んでいる。だが,違うのだ。チベットが原産なのだ。このことをチベットの人たちは忘れない。

日本のメディアだって,この事実を知らないはずはない。わたしのようなものがちょっと調べただけで,こんなことがわかるのだから,日本のメディアの情報ネットワークがこの事実を調べられないはずがない。充分に承知のはずである。では,なぜ,報道しないのか。

日本政府の外交が腰抜けの上,メディアも政府の意向には逆らわない。ましてや,パンダごときで日中関係を阻害したくない,という妙な良識がはたらいている。しかし,日本国民の圧倒的多数が,中国の心優しい「パンダ」のプレゼントに浮かれ,いっときは「パンダ・ブーム」をひき起こした。いまも,パンダ人気は衰えをみせない。しかし,その裏にこんな,みごととしかいいようのない秘策までほどこした「欺瞞」があることを,ほとんどの人は知らない。そして,いまもなお,日本人の多くの人が中国四川省成都のパンダ保護センター詣でをつづけている。こうした事実をなにも知らないままに・・・・。

チョムスキーの言う「メディア・コントロール」が,こんなところにも機能していることを,われわれはもっともっと深く考えるべきだろう。これが民主主義を標榜する国家で行われている事実なのだから。まことに恐ろしいことではある。

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2008-09-30 今帰仁城を見学。

_ 28日に結婚式があって沖縄にでかけていました。翌日の29日に,今帰仁城(なきじんぐすく,と読む)に娘と彼氏の案内で見学してきました。

那覇から北に向かって,かなり長いドライブでした。10年ほど前に一度,行ったことはあるのですが,世界遺産に登録されたというので,再度,確認しておきたいと思いました。10年前には訪れる人もまばらで,ほとんどだれも居なかった記憶が残っています。でも,今回は大型バスも停まっていれば,一般観光客のレンタ・カーもいっぱい停まっていて,びっくり仰天。駐車場もおみやげ物屋さんも立派な建物ができていて,これまたびっくり仰天。

そのむかし,薩摩藩に焼き討ちにされて落城。以後,廃墟のままになりましたが,その本丸近くに残されていた御願所(うがんしょ)は信仰篤き人びとの祈りの場所として大切にされてきました。この日も,いっぱいの観光客の存在など気にもとめず,7〜8人の人たちが一心不乱に祈りを捧げていました。

山の頂上につくられた城砦で,山全体が岩盤でできていて,表面に灌木が育つ程度の土がかぶっているにすぎません。ですから,城の内側の岩盤を叩いて割った石を一つずつ積み上げて,何重にも城壁を築き,みごとな城砦となっています。それはそれはみごとなもので,それだけで美しい。一部は崩壊しているところもありますが,立派な城砦に感動です。

一番外側の部分の発掘が,いまも行われており,それらの発掘現場にすでに一つの御願所が新しくつくられていました。発掘の結果,御願所であったということが確認されたので,それを再現したのだとのこと。これらの発掘が全部終われば,最終的にはさらに崩落してしまっていた城壁が再現されることになるでしょう。そうしたら,もっともっとみごとな今帰仁城が再現されることになりそうです。また,いつの日にか行ってみたいなぁ,と思っています。

元気なうちに,沖縄の城(ぐすく)巡りをしてみたいなぁ,と夢みています。沖縄本島には,あちこちに城跡が存在します。しかし,どこにもその城が再現されているところはありません。全部,城跡だけです。唯一,首里城だけが,何年か前に再現され,テレビや映画のロケーションで使われていますので,みなさんもよく知っていると思います。首里城のことは,また,いつか書いてみたいなぁ,と思っています。

とりあえず,今帰仁城探訪の報告まで。

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