Diary


2008-10-01 もう10月に突入。

_ 気がつけば,もう,10月に突入。ことしもはや3カ月を残すのみ。こんなに時間の流れが早くていいのだろうか,と心配になってくる。

少なくとも,定年退職後はゆったりとした時間を過ごすつもりでいたのに,これはまったくの想定外のこと。困ったものだ。

いつも夏休みが終わると年末がちらついてくる。ことしも例外ではない。それどころか,気候の方が一足飛びに,暑さから一気に寒さにジャンプしてしまったので,なおさらの感が深い。

10月は,これまでにも増して,スケジュールがいっぱいだ。3日には札幌でシンポジウム,7日は編集会議,9日は雑誌原稿の締め切り,10日には大阪で特別セミナー,11日も大阪で研究会,とつづく。いま,取り組んでいる単行本の編集会議が大詰めにきているので,この詰めに相当の時間をとられている。しかも,今月中には執筆者を決め,執筆要綱をつくり,サンプル原稿を書かなければなるまい。その他にもやりたいことは山ほどある。買い込んだ本も山積みになっている。これらの本も読みたい。そうなれば,今月はあっという間に終わってしまう。

11月も,スポーツ史学会の大会が福島で開催される。これが会長職の最後の会となる。ここを通過すれば,すべての役職から解放される。気持ちの上ではずいぶん楽になる。あとは,一匹狼のように,好きにすることができる。この日を待ち望んできた。まったくのフリーになれば,書くものもかなりラディカルになってもいい,と自分に言い聞かせてきた。これまでは,柄にもなく自分の意志を抑えてきた。

10月に入って早々にこんな愚痴めいたことを書いているようでは駄目ですね。もっと明るい話題を取り上げるべし。反省。

ようし,こうなったら,10月も思いっきり楽しく仕事をしてやるぞう! 明るく,楽しく,朗らかに仕事をしよう。面白くて,やめられない,という気分で。そうそう,この調子で。みずからに暗示をかけて。

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2008-10-02 中国人にとって「愛国」とは?

_ 明日の札幌大学で開催される「ペリフェリア・研究会」の必要もあって,このところ中国関連本をかなり多く読み込んでいる。その中の一つに『中国人の愛国心』(王敏著,PHP新書)がある。

わたし自身が,これまで,いかに中国のことを知らないできたかということを痛切に反省することしきりである。こんなに無知なまま,新聞紙上で報じられる中国関連記事に一方的に踊らされていたことを,いまになって恥じるばかりである。

たとえば,中国の若い人たちが,勢いあまって日本大使館の窓ガラスを割ってしまう,という暴動が起きたとき,何人かの若者たちが「愛国無罪」というプラカードをかかげていたのを記憶している人も多いかと思う。この「愛国無罪」ということの意味が,そのときにはさっぱり理解できなかった。石を投げて窓ガラスを割っておいて「愛国無罪」はないだろう,と。しかし,この本の著者である王敏は,中国人からすればごくごく当たり前のことである,という。そのことの意味をじつにわかりやすく説明をしてくれる。

その意味はこうだ。中国人にとっては国と母親は同じようなものだ。かりに,母親が醜い顔をしていても,子どもはどんなことがあってもその母親を守らなくてはならない。それと同じように,国がどんなに醜態をさらけ出しても,その国を救済すべく努力しなくてはならない。これが,中国のいう「愛国」の意味だ,と。もう少し,厳密に踏み込んでおけば,その醜態をさらした国の欠点をきびしく弾劾した上で,さらに,それを埋め合わせるべく具体的な提案をしていくこと,これが「愛国」だ,というのである。だから,国を守るために外国の大使館の窓ガラスを割ることは「愛国」精神の表れなのだ,と。

このような説明を聞いていると,かつての学生運動家たちのやっていたことは,すべて「愛国」の精神の表出であり,したがって,「無罪」でなくてはならない,ということになる。しかし,彼らは,つねに国家権力の手先ともいうべき機動隊と激突しては「石合戦」を展開し,逮捕され,「有罪」判決を余儀なくされていた。日本にあっては,同じ「愛国」の精神の表出であっても,「無罪」にはならないのである。

中国の「愛国無罪」がわかったところで,ふいに,「造反有理」ということばが蘇ってきた。このことばも,たぶん,同じような意味で解釈すべきなのだろう,と。つまり,国家権力に対して「造反」するのは,ちゃんとした理由がある(「有理」)から,それは正しいことである。だから,「有理」によって「造反」する人間を罰してはならない,ということが中国では常識になっているのかもしれない。

「愛国」と漢字で書けば,まったく,同じ文字なので,ついつい日本と同じ意味だと解釈しがちである。ところが,その意味内容は重なる部分もあるが,大きくすれ違ってしまう部分もある,ということを充分認識すべきであろう。でないと,かえって誤解を招きかねない。わたしなどは完全に誤解していた。中国語のうち,日本語とまったく同じ漢字表記にはくれぐれもご用心というところか。

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2008-10-05 世界史における北京オリンピックの意義

_ 表記のシンポジウムが,10月3日(金)の午後4時30分から午後7時30分まで,札幌大学のペリフェリア文化学研究所主催で開催された。

シンポジストは,いつものメンバーである西谷修,今福龍太の両氏にわたしが加わった3人。これで5回目にもなるので,お互いに呼吸がわかっているとはいえ,やはり,緊張する。しかも,議論の主題がどこに飛んでいくかもわからないし,いつ終わるともしれない長時間の議論がつづくのである。最初のころはクタクタになった。今回も,慣れたとはいえ,本質的にはクタクタだ。こういう緊張の場に身をおくことによって,これまでずいぶんと鍛えてもらってきた。まだまだ,このお二人には遠く及ばないが,しかし,ある程度は土俵の上に残っていられるようになってきた。もっともっと稽古をつんで,少しでも長く相撲がとれるようになりたいものだ。

わたしは,いつものように,二人の横綱の胸を借りるつもりで,草稿を用意した。ちょうど,これまで4回ものシンポジウムを重ねてきて,それらをまとめて単行本にしようという企画が進んでおり,そのための「プロローグ」をわたしが担当することになっていたので,その下書き原稿を草稿として用いることにした。今回のシンポも,これまでの4回のシンポを引き受けながら,さらに,つぎなる展望を探ろうというものだったので,ちょうど,タイミングもよかったと思う。

わたしの提出した草稿は「近代スポーツのミッションは終わったか−−<透明なる身体>の行方,というもの。これは「プロローグ」の見出しタイトルとして用いた題名であるが,できれば,これを本のタイトルにしたいというのがわたしの下心。キリスト教文化圏で誕生した近代スポーツのミッションは,スポーツの一元化とそれによる世界制覇にあった,と指摘した上で,このミッションは思いもよらない副産物まで生み出し,ついには,ドーピング問題をひき起こすにいたった,と。そして,ついには,ヨーロッパ近代の論理とは相容れない論理をもつ中国でオリンピックが開催されることとなり,まことに不思議な現象はわたしたちは目の当たりにすることになった。

とまあ,こんな書き出しで,いくつかの問題提起をしてみた。そうしたら,今福さんが「ミッション」ということばづかいに反応してくれ,ミッションはそもそもインポッシブルでなくてはいけない,とした上でいつもの今福節を展開してくださった。そして,二人の話を引き受けるようにして,西谷さんが「いったいスポーツとはなにか,とついつい考えずにはいられない」とみずからを規程しながら,すばらしいスポーツ哲学を展開してくれた。

これらの内容はいずれ,活字になってまとめられることになっている。瀧元さんの手を煩わせることになるが,いまから楽しみではある。

ただ,残念なことに,札幌大学主催という形でのシンポはこれが最後になるとのこと。どこの大学もいまは経費節減の時代に入り,こうした素晴らしい文化事業が姿を消していくことになる。ということであれば,どこかで別の形態をとって,こうしたシンポジウムを継続していくことを企画しなくてはなるまい。

どなたか,いいアイディアがあったら教えてください。

こんな終わり方になるとは・・・・。

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2008-10-07 西田幾多郎のこと。

_ 札幌が終わったら,こんどは大阪である。10月10日(金)午後4時15分から大阪体育大学で特別セミナーで話をすることになっている。題して「舞い踊る身体を考える」−−西田幾多郎の「純粋経験」を軸に。

そんな必要があって,藤田正勝著『西田幾多郎−−生きることと哲学』(岩波新書)を読みはじめている。この本はまことにわかりやすく西田哲学を解説してくれるので,こういう直前になって頭を整理するために読む本としては最高である。

この本の冒頭のところで,倉田百三が西田の『善の研究』を読んで感動したという文章が紹介されている。この倉田の文章を読んで,わたしの胸のうちもまたふるえてしまった。そのむかし『出家とその弟子』を読んで感動したことを思い出し,その背景には西田の『善の研究』があったことを知り,最近になって,わたし自身がますます西田の思想・哲学に惹かれていく理由がわかった。少し長いが,倉田百三の文章を引用しておこう。

_ 私は何心なく其の序文を読みはじめた。しばらくして私の瞳は活字の上に釘付けにされた。見よ!「個人あって経験あるにあらず,経験あって個人あるのである。個人的区別よりも経験が根本的であるという考えから独我論を脱することが出来た。」とありありと鮮やかに活字に書いてあるではないか。独我論を脱することが出来た?! 此の数文字が私の網膜に焦げ付くほどに強く映った。私は心臓の鼓動が止まるかと思った。・・・私は書物を閉じて机の前に凝と坐っていた。涙がひとりでに頬を伝わった。・・・この書物は私の内部生活にとって天変地異であった。

_ 「個人あって経験あるにあらず,経験あって個人あるのである。」というこの一文からは,わたしも恐ろしいほどの衝撃を受けた。西田幾多郎の一種独特の言い回しが,なぜか,わたしの脳髄の奥深くにまで染み込んでくるのである。文章の意味そのものは,そのとおりであるし,それ以外のなにものでもない。にもかかわらず,この詩的な文体が,文意の裏側に秘めた深い意味内容を予見させるのである。わたしは,これまでに何度,この文章を書き写してきたことだろう。そして,そのたびに,なぜか,鳥肌が立ってしまうのである。このように書いているいま,またまた,わたしの両腕の前腕部分に鳥肌が立っている。そして,しばし,指の働きが停まってしまう。

「哲学は我々の自己の自己矛盾の事実より始まるのである。哲学の動機は『驚き』ではなくして深い人生の悲哀でなければならない。」

この一文も西田の哲学を解説するときには,必ずといっていいほどに引用される有名な文章である。場合によっては,もっと短く「哲学の動機は人生の悲哀でなければならない」とも表記される。いずれにしても,「人生の悲哀」が哲学の動機だ,と断言する簡潔さに,まずは驚かされる。そして,「人生の悲哀」かぁ,とひとり嘆息する。思い返せば,西田幾多郎の人生は,まさに「深い悲哀」の連続であった。最後は,敗戦後の食料難に遭遇して,栄養失調のまま死を迎える。お金がなかったわけではない。闇米に手を出さなかっただけのことだ。

2002年から刊行がつづいている新版『西田幾多郎全集』(岩波書店)を購入しようか,どうしようか,と決心がつかないままこんにちを迎えている。老後の座右の書として,ぜひにも,手元に置いておきたい全集ではある。さて,どうしようか。やはり,購入することにしようか。

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2008-10-12 特別セミナーと月例研究会

_ 10月10日・11日と二日間にわたり,大阪でセミナーと研究会に参加してきた。とても充実した時間が過ごせて大満足。

10月10日は大阪体育大学大学院の特別セミナー。テーマは「舞い踊る身体を考える−−西田幾多郎の『純粋経験』の概念を手がかりに」。30名弱の院生(一部,教員も)がとても真剣に話を聞いてくれたので,いつもにもまして気合いが入った。いささか気合いが入りすぎて,余分なことまでしゃべってしまった(脱線して)が,院生さんたちの顔つきはみている限りでは,きちんと真っ正面から受け止めてくれたのでは・・・?,と勝手に推測している。

わたしとしては,久しぶりにその場での思考の展開を楽しみながら,以前よりはいくらか進化した話ができたかな,という手応えもあり大満足。「純粋経験」の概念を手がかりに,とサブタイトルにかかげたけれども,聞き手の質がいいと思ったので,さらに「行為的直観」の概念まで援用して,さらに深い思考にもチャレンジ。

翌日の10月11日は,大阪学院大学で「ISC21・大阪月例研究会」。こちらは4名の発表者があって,大いに盛り上がる。おまけまであって,北京オリンピックのオープン競技となった太極拳で銀メダルをとったエリカさん(名字を忘れてしまった・大阪学院大学2年生)のプレゼンテーション。やはり,メダリストになる人はどこか違うものだ。緊張することもなくオリンピックを楽しんできた,とのこと。その結果が銀メダル。プレゼンテーションも堂々たるもので,しかも,きちんとした話ができる人。自分の大学2年生だったころのことを思い浮かべてみても,とてもしっかりした人であるなぁ,と感心してしまう。

研究発表の方は,11月に開催予定のスポーツ史学会での研究発表のリハーサルなので,こちらも気合いが入る。4名の人たちみんなよく勉強していて,準備もよくできていたので,聞いていてとても楽しい。4名が4名とも,それぞれの個性を活かした研究内容なので,ほんとうはもっと時間をかけて議論ができるといいなぁ,と思いながら贅沢な時間を満喫させてもらった。あとは,問題点をうまく整理して,本番に臨んでもらうことにしよう。

こういう充実した月例研究会が一つあると,他のところでやっている東京,名古屋の月例研究会も気合いが入るだろうと期待。

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2008-10-13 ダライ・ラマが見据えているもの

_ このところ精根を注ぎ込んで仕事をしてきたので,今日は休養日にした。そこで,以前から買い込んであった本の一冊『聞き書きダライ・ラマの言葉』(松本栄一著,生活人新書,NHK出版)を読んで楽しんだ。

テレビをとおして強く印象に残っているのは,なんといってもこの人の笑顔であろう。あの天真爛漫な,子どものような,童心まるだしのような笑顔はちょっとまねができない。ほんものの顔だ。こころの底から湧き出てくるような笑顔だ。どうしたらあのような笑顔をわがものとすることができるのだろうか,と以前から気になっていた。

この本によると,ダライ・ラマの日常の一日の生活は,以下のようだという。

朝4時起床。まず,マントラ(真言)を唱えることからはじまり,30分ほど仏陀の前で礼拝をする。そして,軽く散歩をしてから5時すぎに朝食。栄養のあるものをゆっくりと摂る。6時から8時まで瞑想。8時から12時まで仏教哲学の勉強。つまり,午前中は僧侶として,仏教徒として過ごす。

12時に昼食。新聞などに目をとおして,午後1時には亡命政府の事務所に行って公務につく。つまり,チベットの指導者としての活動が待っている。その間に,いろいろの訪問者との謁見もこなす。基本的に人と会うのは大好きだそうだ。午後5時には切り上げて自宅に帰り,6時に軽いお茶を飲み,夕食はとらない。そのままお祈りをつづけ,午後9時に就寝。

これが,ごく普通のときのタイム・スケジュールだという。亡命政府のリーダーとして,もっともっと公務に追われていると思っていたら,暗に相違して,僧侶としての生活にウェイトを置いていることに驚く。祈りや瞑想に多くの時間を割き,公務は最低必要限度に抑えている。だから,いつも,頭のなかが透明になっていて,どんな難題がふりかかってきても瞬時にして対応策を考えることができるのだろう。しかも,いかなる計算も打算も超越した次元で。

こういう絶えることのない日常の修行の積み重ねの結果が,われわれ凡人とは次元の異なる,まったく別の発想を可能とするのだろう。たとえば,チベット独立という主張を撤回して,中国のもとでの自治政府を認めてくれればいい,という柔軟姿勢に転ずる。すでに,チベット人が100万人も中国の暴力によって殺されている,という事実を知りながら。しかも,「非暴力」と「対話」をかかげる。ダライ・ラマが尊敬してやまないマハトマ・ガンジーの戦略をそのまま引き継ぐかのように。かつて,インドの独立が無血によって獲得されたことを,ダライ・ラマは忘れてはいない。

この戦略転換は,ダライ・ラマのしっかりとした遠い将来を見据えた展望から導き出されている,という。独立しようが,中国のもとでの自治政府であろうが,遠い将来には「国家」とか「国民国家」というものは存在しなくなるのだから,どちらでもいいのだ,と。それよりも,可能なかぎり犠牲者を少なくすること,そして,まがりなりにも「平和」を確保すること,そちらを第一優先とすべきだ,と。しかも,これが仏教の説く「慈悲」と「智慧」から導き出される結論なのだ,と。

こういう高邁な精神に対して,ノーベル平和賞が授与された(1989年)のだ。

恐れ多いことながら,ダライ・ラマの爪の垢でも煎じて呑むことから始めようかと思う。まずは,しばらく頓挫していた坐禅から復活させることにしようか。

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2008-10-17 ヴィジョナリー・スポーツの根源は「純粋経験」

_ ル・クレジオがノーベル文学賞を受賞することになり,ふたたび『悪魔祓い』をとり出して,あちこちめくってみる。やはり,この本はいい。どこから読みはじめても,遠い過去のこころの古層がくすぐられる。いつか,ル・クレジオのことについても書いてみたいと思う。

さて,今日は,ル・クレジオの『悪魔祓い』の世界とヴィジョナリー・スポーツの世界とはきわめて近似していること,そして,唐突ではあるが,森有正の『木々は光を浴びて』『経験と思想』などもここにつながっていること,ということは西田幾多郎のいう「純粋経験」の世界にもみごとにつながっていく,この脈絡がみえてきたことのよろこびを書き残しておきたい。なにか,最近,いろいろのもの・ことが一つのところに集約され,連動しているということを知ることが多く,不思議な体験がつづいている。

森有正は『木々は光を浴びて』のなかで,つぎのように記している。

_ 人間がつくった名前と命題とに邪魔されずに,自然そのものが裸で感覚の中に入って来るよろこび,いなそれは「よろこび」以前の純粋状態だ。あとになってから,私のこの状態に「よろこび」という名をつけるのだ。

_ この一文などは,まさに西田幾多郎の「純粋経験」そのものをみごとに描写している,とわたしには読める。こういう感性を現代社会に生きるわたしたちは,どこかに置き忘れてきてしまったのだ。いわゆる現代文明という名の暴力装置のもとで,わたしたちの自然の感性がつぎつぎに抑圧・排除・隠蔽されることになってしまった。その結果が,「東京砂漠」の誕生だ。いまでは,必死になって探さないかぎり「オアシス」は見つからない。

ヴィジョナリー・スポーツの提言をしてからもうすでに長い時間が経過している。しかし,その後の追跡をおろそかにしていたので,なんだか色あせつつある。これからもっと追い打ちをかけて・・・・と思っているのだが。いま,しばらくは,今福さんが『山と渓谷』で書いている連載に注目。このところ絶好調。ますます今福さんの世界が開かれてくる。これを読みながら,わたしは大いに啓発される。そして,今福さんとは異なるヴィジョナリー・スポーツへの接近の仕方を探っている。これはまことに楽しい想像の世界であり,創造の世界。

その一つが,西田幾多郎の「純粋経験」の概念にもとづく「ヴィジョナリー・スポーツ」の展開である。「自然そのものが裸で感覚の中に入って来るよろこび」(森有正),つまり,「よろこび」以前の純粋状態を確保すること。こんなことに絡む思考を練り上げていくことの「よろこび」。

「21世紀スポーツ文化研究所」のもう一つの研究テーマ。

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2008-10-18 ル・クレジオについての今福さんの美しい文章

_ 昨日,ル・クレジオのことから書きはじめたので,今日は,ル・クレジオについて今福さんの書いた限りなく美しい文章について触れておきたい。

今月の11日(土)の朝日の朝刊の文化蘭に紙面の四分の一ほどもある大きな記事としてル・クレジオが取り上げられている。2年前に来日したとき(このとき,わたしは東京外国語大学でのシンポジウムを聞きに行きに行った),奄美大島でのル・クレジオの大きな写真も掲載されている。ご覧になった人も多いと思う。

が,この記事の主役は,なんと言っても今福さんのまことに美しい文章だ。大きな見出しは「静寂と叡智に耳澄ます人」とあり,サブ・タイトルが「ノーベル文学賞受賞のル・クレジオ氏」。新聞では滅多にお目にかかれない詩的な文章ではじまる。

_ 耳の人,というくっきりした第一印象がある。四半世紀ほど前,彼も私も住んでいたメキシコ中央高原の先住民の村外れで,一面のトウモロコシ畑をわたる風の倍音にそっと聞き耳をたてていた長身のシルエットが能裡を離れない。

二年前,三十九年ぶりの訪日を果たしたときの彼もまたおなじだった。アイヌの森のなかで囲んだ雪上の焚き火のはぜる音。奄美の汀(みぎわ)に立つガジュマルの傍らを飛ぶイトトンボのか細い羽音。古い日本語の息を残した南島の方言の断片。そうしたものに,変わらぬ長身と金髪の頭(こうべ)を少し傾げるようにして聞き耳をたてる,寡黙な聴覚の人がそこにいた。彼にとっての世界とは,耳という微細なアンテナをつうじて彼にもたらされる,人々の飾らない生活空間の口誦的で音響的なリアリティとして感受されるものだった。

_ どこまでも引用をつづけたいが,あとは,新聞で確認していただきたい。この今福さんの文章そのものが,すでにして,ル・クレジオの書く文体と共鳴している。わたしの愛読書の一つであるル・クレジオの『悪魔祓い』は,こうした「耳の人」が目に見えるモノのはるかかなたから響いてくる音を聞き取り,そこに広がる神秘的な世界を描き出す。そこは,まさに,インディオたちが聞いている音響的世界と共振する世界だ。もっと言ってしまえば,目をつむったときから始まる,もう一つの世界だ。そして,さらに踏み込んでおけば,その世界はもはやことばでは表現できない祈りの世界だ。

ここで,あえて指摘するまでもないが,ヨーロッパ近代にはじまる思考方法の原理は,なによりも「視覚」を優先させる。そして,目に見えるものをことばで表現し,抽象化させる。そうして,ますますリアリティの半分を排除し,抑圧し,隠蔽することになる。わたしたち現代文明社会に生きる人間は,このことに意識的であるにしろ,無自覚的であるにしろ,いつのまにかこうした思考原理に依拠してものごとを考えている。そして,それだけが真実だと信じている。近代科学はこうした思考方法の優先を不動のものとした。はたして,その結果はどうだったのか。いま,わたしたちはそうした思考原理を選択した結果を目の当たりにしている。諸矛盾の露呈・・・・・。

ル・クレジオ氏にノーベル文学賞が授与されると聞いたとき,わたしの能裡をまっさきにかすめたのは,近代的「視覚」優先の価値観への反省と前近代的「聴覚」世界への回帰であった。たった一つの価値観で全世界を支配しようというシナリオ(現実)がいまも着々と進行している。しかも,その価値観が根底から綻びはじめているというのに・・・・。

ル・クレジオ氏のノーベル文学賞の授与は,遅きに失した感もなきにしもあらずであるが,いまからでもいい,ヨーロッパからその反省がはじまるのであるならば・・・・。

ル・クレジオの著作の多くは日本語で読むことができる。これを機会に,もう一度,読み返してみようと思う。

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2008-10-19 村上春樹の『海辺のカフカ』を読む。

_ 昨年の秋に,スペインのバスク大学と神戸市外国語大学がブリッジを架けた「第1回日本・バスク国際セミナー」で知り合ったバスクの研究者たちの間で,村上春樹の小説が人気を呼んでいることを知り,いささか,不思議な思いをしたことがある。しかも,『海辺のカフカ』『ねじまきどりクロニクル』『ノルウェーの森』などが好んで読まれているという。

たしかに,海外での評価がすこぶる高いということは知っていた。英語で講演もできるほどの語学力をもっていることも広く知られている。だから,村上春樹には翻訳ものも多い。しかも,それらは名訳だという。

しかし,わたしには村上作品が海外で,とくに,欧米で読まれていることの意味がいま一つ理解できなかった。このことをいつか確認してみたい,つまり,そのつもりで村上作品を検証してみたい,とそのときから思っていた。ようやく時間をみつけて,まずは,『海辺のカフカ』を大急ぎで読んでみた。やはり,わたしの疑問は解けない。ますます,疑問が増大するばかりである。

なぜなら・・・・。

『海辺のカフカ』を読まれた人は,その奇想天外なストーリー展開に,まずはびっくりさせられる。なぜなら,現実と非現実,この世とあの世,生身の人間と死者(あるいは,霊魂),といった二分法をいともかんたんに飛び越えて,行ったり来たりする。あるいは,その境界領域の不可解な体験がつぎつぎに繰り広げられる。こういうストーリー展開にかなり慣れているはずの日本人でも相当に慌てるはずなのに・・・・。ましてや,近代合理主義の整然たる二分法のもとで,正義と邪悪や善悪といった区別を徹底させ,他方を一方的に排除する思考を積み重ねてきたヨーロッパのキリスト教文化圏の人びとに,村上ワールドが理解されるとは,いまも考えられないからだ。

この『海辺のカフカ』に限定すれば,この作品の最大のテーマは「存在論」である。もう少し厳密に言っておけば,人間の「存在」を問いかけること,つまり,「存在者」とはなにか,を問いつづけること,にある。そして,いかに人間が「存在」するということが危ういものであるか,ということをあの手この手で,これでもか,というほど微に入り細にわたり説いていく。

このテーマはレヴィナスの著書『存在から存在者へ』が真っ正面から取り上げたものである。レヴィナスは哲学者として極限状態における人間の「存在」様態を追求していく。たとえば,歩哨に立つ兵士が,疲労困憊して,銃を手に立って目を見開き前方を睨んではいるが,なにも見えていないことがある。このときの兵士は,はたして,「存在」している,と言えるのか,いなや,とレヴィナスは問う。

村上春樹は,小説家として,日常生活のなかのさまざまな局面を切り取りながら,人間の「存在」がいかに危ういものであるかをこの作品のなかでつぎつぎに提示していく。つまり,主体の不在を徹底的に問い続けている作品なのである。この「主体の不在」こそ,ヨーロッパ近代のもっとも忌み嫌うものであって,こんなことはあってはならないのである。

そのことは,「第1回日本・バスク国際セミナー」の三日間にわたる討論で,いやというほど知らされた。というより,われわれの主張を頭から否定する発言が相次いだ。パリ大学元教授のパルレバさんを筆頭に,みなさん口を揃えて,われわれ日本側のプレゼンテーションに食いついてきた。

この人たちが,なぜ,村上春樹なのか。

ひょとしたら,単なる「オリエンタリズム」としてエンジョイしているにすぎないのか。

もう少し,検討してみたい,と思う。つまり,異文化理解とはどういうことなのかということを問うための典型的なテクストとして。

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2008-10-21 ウェブ・マガジンの発行構想について

_ 時間の経つのは早いもので,定年退職してからもう7カ月が過ぎようとしている。ということは,「ISC21」(「21世紀スポーツ文化研究所」の略称)を設立して半年以上が経過したということである。

「ISC21」の活動の柱は,東京・名古屋・大阪で巡回して開催している「21世紀スポーツ文化研究会」月例会である。もっとも,この研究会そのものは「ISC21」を立ち上げるための助走として2年前から開始。その実績を引き継いで,研究所の立ち上げに踏み切った経緯がある。そして,この会もなんとか回を重ねてきている。盛会のときもあれば,やや寂しいときもある。が,ディスカッションとしてはなかなか充実しているし,雰囲気もいい。この会は,新しいアイディアを加えながら,これからも頑張ってやっていきたいと思っている。

もう一つ,以前からやってみたいと夢見てきたものが月刊の「ウェブ・マガジン」の発行である。名前も,もう決めてある。月刊誌『スポロ』。発行元は「ISC21」。あとは,編集長と編集委員を決めれば,いつでもスタートすることができる。掲載場所は,もちろん,「ISC21」のホーム・ページ。それが無理ならば,どこかの出版社で管理してもらう。それも検討依頼がしてある。

これが実現すれば,「ISC21」の二つの大きな柱が出来上がり,この研究所を立ち上げた当初の目的の大きなところは達成できたことになる。もちろん,これだけで終わりではない。このところ停滞気味になっている単行本の刊行もある。こちらはこちらで,そんなに慌てても仕方のないことなので,可能な範囲で努力をしていくことになろう。わたし自身の単行本の刊行もふくめて,共著やテーマ別の冊子体をめざす予定。で,こちらもある意味ではすでに動いているので,もう少し,力を入れて行こうと思う。

いずれにしても,ウェブ・マガジンの月刊誌『スポロ』の発行の目処をできるだけ早くたてて,刊行にこぎつけてみたいと思う。問題は,編集者と執筆者をいかにして確保するか,という点につきる。こちらは,これから個別に説得をしてお願いをすることになろう。

が,その前に,なにかいいアイディアがあったら教えて欲しい。

基本的なコンセプトは,スポーツ史・スポーツ文化論に関する研究の活性化。このところ,大学という場の環境がいちじるしく変化してしまい,従来のような落ち着いた研究環境が失われつつある。その結果というべきか,学会発表の主流は,いまや,大学院の院生たちに移ってしまった。研究者としても教育者としてももっとも油の乗った中堅どころが,大学改革のために貴重なエネルギーを吸い取られてしまっている。大学改革が終わり,安定期に入るまではいたしかたないことではあるが・・・・。

こういうときだからこそ,研究活動を活性化させるカンフル剤が必要だ。その一つが,ウェブ・マガジンの発行である。常時,文章を書くことを習慣づけること,そのためには,常時,文章が書ける頭を用意することが必要となる。その頭をつくるのは読書とディスカッション。

忙しい人ほどよく仕事をする(つまり,原稿を書いたり,講演をしたり,ということ)・・・・というのは恩師岸野雄三先生のことば。このことばを道しるべにして,わたしも努力してきたつもりである。これからが正念場だとこころに決めている。あと何年,「ISC21」の活動を維持することができるか,真剣勝負である。

どうか,みなさんのお力添えのほどをよろしくお願いいたします。

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2008-10-24 パンパース世代とタマゴッチ世代

_ わたしの若い友人が二人の友人を連れて事務所に遊びにきてくれた。その中の一人は,まだ,比較的若い精神科の女医さんだった。この女医さんが面白い話しをしてくれた。

パンパース世代が24歳になる,というところから話がはじまり,意外な展開になった。それは,パンパース世代の子どもたちに排泄障害ともいうべき現象が一時現れて,精神科のお医者さんの間で話題になったことがある,というのである。パンパースは,おしっこをしても「サラサラ」で気持ちがいい,を売りものにした紙おむつだ。生まれたときからパンパースをして育った子どもたちの多くは,かなり大きくなってもパンパースが止められない,というのである。やがて大きくなって幼稚園に行くようになってもまだパンパースをしている。幼稚園の方針としては,どこでお漏らしをしても構わないので,パンパースをはずしましょう,と言って強引にパンパースを取ってしまった。ところが,この子どもたちはパンパースがないとおしっこをすることができない,というのである。そして,どこまでも「がまん」してしまう,という。ついには,泣き出してしまう。つまり,パンパースがないとおしっこができない,というのである。これにはびっくりである。おしっこはパンパースのなかにするものだ,とからだに刻印されてしまっているのだ。この状態で大きくなってしまった子どもたちに,トイレでおしっこができるようになるには大変な手間がかかるのだ,そうな。

問題はこれだけではない。生まれて最初に学習するはずの「快・不快」の区別ができない。普通のおむつで育つ赤ちゃんは,おしっこをすればなんとなく居心地が悪くなり泣き出す。お母さんはその泣き声を聞いておしっこをしたなと理解する。そこで,おむつを代えてやる。そうすると,とても気持ちがよくなる,つまり,快感を覚える。こうして,快・不快の違いを学習する。ところが,パンパースで育った子どもたちにはこの快・不快を学習するチャンスはない。なぜなら,パンパースのなかにおしっこをしても不快感はないから。ひょっとしたら,おしっこをすること自体が快感なのであろう。だから,大きくなってもパンパースをとることを拒否するのだ。かくして,おしっこはパンパースのなかにするものだ,というからだができあがる。

そして,強引にパンパースをはずしてしまう。そして,トイレでおしっこをする練習をして,なんとかそれを身につける。しかし,自分の家のトイレでなければおしっこができない子どもになる。つまり,余所のトイレではおしっこができないのだ。そうすると,外にでたときにはおしっこを我慢する。小学校の低学年は比較的早く下校して家に帰ってくるが,上級生になると遅くなる。それでも「我慢」するのだそうな。その世代が,トップは24歳になるという。この人たちの多くは,一日くらい(つまり,8時間〜10時間),おしっこを「我慢」することができるのだそうな。そして,共通しているのは,外でおしっこがしたくならないように水分のとり方にはとてもデリケートになっている,という。

で,この女医さんの結論は,いま,日本では無意識のうちにとてつもない人体実験が行われているのだ,ということ。ここに述べたことがらは,このパンパース世代のほんの一部の現象を紹介したにすぎない,という。もっと厳密な調査をしていけば,おそらく,驚くべきことがいまの若者たちのからだのなかに起こっているはずだ,という。そうしたからだの変化は,間違いなくまったく新しい別の感性をもった人間の誕生を意味する,と。

この話を聞きながら,わたしはフロイトの「快感原則の彼岸」という論文を思い出していた。そして,これはえらいことがいま日本の若者のからだをとおして進行しているのだ,と思うと空恐ろしくなってくる。

ちなみに,「たまごっち世代」は15歳になるという。

ほんの茶飲み話だったのだが,これはえらいこっちゃ,というのがわたしの感想である。いつか,この女医さんのお話をとことん聞かせてもらいたいと,つよく思う。横浜の大学で講義もしていらっしゃるということなので,おそらく,もっともっと面白いデータをもっていらっしゃることだろう。いつか,そのチャンスをつくりたいと思う。

ついに,新新新人類の誕生である。

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2008-10-25 ゴッホの「靴」の絵。

_ 今日はどうも集中力が足りなくて仕事(原稿書き)を諦めて,最近,刊行されたばかりの木田元著『なにもかも小林秀雄に教わった』(文春新書)を読むことにした。

わたしよりも10歳上なので,すでに80歳。それにしても相変わらずの健筆である。とりわけ,ハイデガーのことになると,みごとなまでのわかりやすさを発揮してくれる。かつて,竹内敏晴さんとの対談『待つ,しかないか』の「待つ」の意味がいまひとつわかりにくかったのだが,この本では納得である。この話はいつかまたすることにして,ここでは,ゴッホの「靴」の絵のことについて書いておこうと思う。

「ゴッホの靴」は知る人ぞ知る有名な絵だ。これまでも,しばしば話題にされてきたし,大きな論争まで呼んだ絵だ。この本のなかで,木田元さんが,小林秀雄の書いた『ゴッホの手紙』に触れながら,ハイデガーがこの「靴」を「農婦の靴」として論評している文章を紹介している。その内容はとても面白いものなのだが,このあたりの木田さんとハイデガーの文章を読んでいて「アレッ」という疑問が湧いてきた。それは,「ゴッホの靴」の絵に関するわたしの記憶とまったく違っているので,議論となる前提がかみ合わないのである。

わたしの記憶は,2005年に国立近代美術館で開催された「ゴッホ展」の入り口に飾られた「ゴッホの靴」のキャプションに書いてあった文章である。そこには,ゴッホが画家になることを決意してアントワープからパリまで歩いてやってきて,そのときに履いていた自分の靴がボロボロになってしまったのをみて,これを絵にしようとしたものがこの作品である。だから,この「ゴッホの靴」の絵にはゴッホ自身のなみなみならぬ決意がこめられている。その決意がもののみごとに描き出されている。画家の全身全霊が込められているのだ,と。わたしはこのキャプションにいたく感動し,そうだったのか,とこころの底から納得したのである。だから,いまでも,忘れることのできない鮮明な記憶として残っている。

しかし,木田元さんはこの本のなかで,つぎのように書いている。

「・・・アントワープからパリに出てきたばかりのゴッホは,おそらくミレーの強い影響を受け,一足の農婦の古靴と思われるものの絵を描いている。ハイデガーが採りあげているのはその絵なのだが,そこに描かれている靴は,どこにあるとも言えないさだかならぬ空間のうちに置かれており,別にその靴には畑の土が実際にこびりついているわけではないのだが−−と,ハイデガーは言う。」

として,このあとにハイデガーの文章を引用している。そして,ハイデガーならではの農婦を前提とした詳細な分析を展開していく。それは,あくまでも,農婦のライフ・ヒストリーや自然現象や農婦としての悲喜こもごもが背景にあってこの絵が成立している,と説く。そして,ハイデガーは,作家が問題なのではなく,この靴が発するメッセージをどのように受け止めるかが問題なのだ,と説く。木田元さんもおなじ立場に立つ。

どうして,こういう話で終わらせているのか,わたしには大いに疑問である。担当編集者も,少し厳密に「校閲」をすれば,こんなミスは避けることができたろうに・・・・とわたしは思う。知っていて無視したとしたら,もっと問題だろう。

この絵については,わたしですら,いろいろの議論がなされてきたことを知っているくらいだから,そんなに簡単に収めてしまってはならないだろう。それらの議論をここでは取り上げないが,一つだけ,ジャック・デリダが『絵画における真理』下(法政大学出版局,1998年)のなかでも,かなり詳細に触れていることを紹介しておくにとどめる。

ゴッホがアントワープからパリまで歩いてきた靴とするのか,どこかの農婦の古靴とするのかでは,その意味するところの重みも内容もまったく違ってしまう。本を書くということの暴力性については他人ごとでは済まされまい。わがこととして身を引き締めなくては・・・・。

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2008-10-26 柔道にランキング制度導入

_ 10月22日の朝日・朝刊に「柔道ランク制を正式決定」という見出しの記事が,スポーツ蘭のはじっこに小さく扱われていた。これを読んで,わたしは思わず「アーア」と大きなため息を一つついてしまった。

記事をかんたんにおさらいしておこう。

_ 国際柔道連盟(IJF)は21日に開いた臨時総会で,4大大会やグランプリ大会などの創設を正式に承認し,世界ランキング制度が来年から実施されることが決まった。

ランキングのもとになる大会が整備され,五輪優勝者には600点,世界選手権は500点の得点が与えられる。賞金については,ランキング上位者が参加するマスターズ大会には総額20万ドル,グランドスラム(4大大会)にはそれぞれ15万ドルなどと決まった。

五輪代表は原則,男子は22位以内,女子は14位以内に出場権。圏内に同じ国から複数の選手が入った場合は各国の裁量で代表を選べる。ランク外の国を対象にした各大陸枠も設ける。得点は1年ごとに25%ずつ減少。4年間で得点の多い4大会を合計してランキングホイントにする。

_ 以下は省略。これだけあれば充分だろう。

わたしが「アーア」と大きなため息をついた理由はすでにおわかりだろうと思う。スポーツのグローバリゼーション。JUDOに群がる金儲け主義。これで得をする奴がいる。富,権力,地位,名誉・・・。肝心要の選手は犠牲者だ。からだがもたなくなる。

その結果はどうなるか。JUDOは体力勝負の世界になってしまう。技よりも戦略。攻めているふりを多用するJUDOの蔓延。

いささか結論を先取りしてしまった。

テニスのようなランキング制度の採用がJUDOに適しているかどうか。ここが問題だ。言ってしまえば,JUDOの国際管理化。彗星のごとく現れる若い新人は,こんごオリンピックにはでられなくなる可能性が大となる。なぜなら,ランキングポイントを獲得するチャンスがきわめて少ないからだ。少なくとも,単純計算をしてみて,4年間の国際的な実績をもたないかぎりオリンピック選手にはなれない。

柔道がJUDOになって,すでに久しい。しかし,このランキング制度の導入によって,ますます,JUDOが「無色透明な」JUDOになっていく。もはや,柔道の精神のかけらもなくなってしまう。たとえば,「柔よく剛を制す」などという理想はどこかにすっとんでしまう。ひたすら「剛」のみが闊歩する世界になってしまう。ヨーロッパの近代論理がますますはびこり,「力」でねじ伏せるJUDOばかりが助長されていく。もはや,美しい「一本柔道」はますます遠のいて行ってしまう。

スポーツのグローバリゼーションとはこういうことだ。柔道のグローバリゼーションとはこういうことだ。(厳密にはもっと精細な分析が必要だが,ここでは省略する)

一見したところ「自由競争」の原理にのっとった平等で公平なシステムにみえる。しかし違うのだ。それは,いま起きているアメリカ発の経済危機をみれば一目瞭然だ。「自由競争」という名のもとに隠蔽されるものの実態をよくよく考える必要がある。しかし,それでも事態は少しも変わらないだろう。なぜなら,ブッシュ君の主張するようなまことに稚拙な「正義」論がドウドウとまかりとおる世界なのだから。

ますます「透明化」するJUDOを押し進めて行って,行くところまで行くしかないのか。そして,大勢の人が気づくまで「待つしかないか」ということになってしまう。

このことをハイデガーがつとに指摘している,と木田元さんは言う。竹内敏晴さんも「それしかないね」と応じる。なんともはや,展望の得られない時代になってしまったものだ。

だからといって黙ってしまってはいけない。言うべきことは言う。どこまでも主張すべきは主張する。この姿勢をなくしてしまったら,もう,生きてはいけなくなってしまう。『死に至る病』(キルケゴール)にとりつかれないように,ご用心,ご用心。

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2008-10-27 Walter Karl Gaulhoferの訃報が届く。

_ わたしが修士論文で取り組んだ「自然体育」の創始者Karl Gaulhoferの長男であるWalter Karl Gaulhoferの訃報が今日とどいた。

大きな封筒に,日本でいえば黒い縁取りのカード,つまり死亡通知と告別式の案内状が入っている。内容はオランダ語で書かれているので詳細は読み取れないが,ドイツ語に似ているところがあるので,想像力をはたらかせて読めばなんとか理解できる。

1914年6月14日に生まれ,2008年10月17日に死亡。告別式は10月22日14時30分から,Vergierdeweg 271 re Haarlem-Noordのセレモニー・ホールで行う,と読める。子どもさんは3人(Lies, Hans, Peter)いたが,結婚したのは次男のHansのみで,この人は子どもを4人もうけていることが文面から推測できる。Peterというのが長男で,かれが喪主として名前と住所が書かれている。封筒の手書きの名前と住所もこれと同じである。こちらの方は,崩し字になっていて,ほとんど読み取れない。亡くなったWalterの年齢が94歳なので,このPeterも70歳くらいにはなろうかと思う。だとすると,相当に字が乱れているということか。わたしの記憶に間違いがなければ,このPeterもお医者さんだったはず。

思い起こせば,もう,ずいぶんとむかしのことだ。わたしが,当時の文部省の在外研究員としてウィーンにでかけたのは,1985年のことだ。ちょうど47歳のときだ。もちろん,「自然体育」の研究が第一の目的で,ウィーン大学の図書館に入り浸っていた。そこで知り合った司書のMarliese Buchta夫人から,Karl Gaulhoferの娘さん(とはいえ,すでにリタイアしていた)がGrazに住んでいることを教えてもらい,Grazまで会いに行った。GrazにはKarl Gaulhoferのお墓もあると聞いていたので,この娘さんに案内してもらった。とても感動的な一日だったことを記憶している。そのときに,弟のWalterがオランダで医者をしていることを知り,住所も教えてもらった。それから,Walterとの文通がはじまった。

わたしがウィーン大学での在外研究員として期間が終わり,帰国するときになって,Walterから「その前に会おう」という誘いがあった。急遽,帰国の途中でオランダに立ち寄り,そのチャンスをつくった。わたしがアムステルダムのホテルから電話を入れたら,「いまから,すぐに行く」と言って,タクシーをとばしてやってきてくれた。父上のKarlにとてもよく似ていて,初対面でもすぐに見つけることができた。わたしは,オーストリアで刊行されていた古い専門雑誌の中に,「あなたと父上とがスキー場で並んで立っている写真をみた記憶がある」と切り出したら,「あー,あれはわたしがまだアムステルダム大学医学部の学生だったときに,冬の休暇をとってオーストリアのグラーツに帰ったときの写真だ」と,とても機嫌よく話をはじめたことを昨日のように思い出す。そして,父のKarlが第一次大戦に従軍したときに塹壕のなかで書いたものだ,というスケッチブックをみせてくれた。そこには,上官や仲間の兵士たちの似顔絵が書かれてあった。「絵を書くことが父の趣味だった」と言って,懐かしそうな顔をしたことも思い出す。とても気持ちの温かい人間で,品格のある紳士だった。Walterはオランダの女性と結婚し,とうとう父の母国であるオーストリアには帰らなかった。父のKarlは,アムステルダム大学との契約があと1年で終わるという1941年に,ドイツ軍によるアムステルダム爆撃がショックで(このとき,すでに,母国オーストリアはドイツに併合されていた)心臓発作を起こし,それが原因でまもなく息をひきとる。この葬儀を済ませて,Walterの母と姉はグラーツ(オーストリア)に帰ったが,Walterはすでに婚約していたので,そのまま,アムステルダムに残った。そして,医者を開業して暮らしていた。

以後,こんにちまで時節のご挨拶程度ではあったが,定期的に手紙のやりとりがつづいた。ことしの春になって,入院した,という手紙がきたのが最後だった。高齢であることはわかっていたので,とても心配はしていたのだが,やはり,帰らぬ人となった。

仕方のないこととはいえ,外国でお世話になった懐かしい人たちがつぎつぎにこの世を去っていく。わたしの方の足腰がしっかりしているうちに,もう一度,お世話になった人びとに会って,お礼のご挨拶をしておきたいと切実に思う。早くしないと,時間はあっという間に過ぎ去っていく。思い切ってでかけるとするか。

Walter Karl Gaulhoferのご冥福をこころから祈る。

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2008-10-30 「中華思想」の創造。

_ 岡田英弘著『だれが中国をつくったか−−負け惜しみの歴史観』(PHP新書)を読んでいたら,びっくりするような話が書いてあったので紹介してみたいと思う。

それによると「中華思想」というものは1004年以後に,中国北方の遊牧民出身の皇帝によって,新しく「創造」されたものだ,というのである。その経緯は以下のとおりである。少し長いが,事情がいささか複雑なので,そっくり引用する。

_ 1004年,新しく北方に興った契丹(きったん)の聖宗(せいそう)皇帝は,みずから軍を率いて北宋に侵入し,○州(せんしゅう)に達し,ここで北宋の真宗(しんそう)皇帝と対峙した。ここで契丹と北宋のあいだに和議が成立し,真宗皇帝は契丹の皇太后を自分の叔母と認め,北宋から契丹に毎年,十万両の銀と二十万匹(一匹=ニ反)の絹を支払うことになった。これを○淵(せんえん)の盟という。

これによって北宋は,天下は契丹と北宋に二分され,契丹は北朝(ほくちょう),北宋は南朝(なんちょう)と,南北朝が並立することを公式に承認しなければならなくなった。これでは北宋の皇帝は,天下の統治権をもつ,ただ一人の「正統」の皇帝でないことを認めたことになる。これは北宋にとって,屈辱以外の何物でもなかった。

この屈辱の反動で,実際は古く入植した遊牧民の子孫である北宋の人たちが,自分たちが「正統」の「中華」だ,「漢人」だといいだして,傷ついた自尊心をなぐさめ,新しく北方に興った遊牧帝国を,成り上がりの「夷狄(いてき)」と蔑(さげす)んで,せめてもの腹いせにしたのが,「中華思想」の起源になった。

_ このあとに,さらに詳しい説明がつづくのであるが,とりあえず「中華思想」の起源がこういう歴史的背景から誕生したのだ,ということを確認するにはこれで十分であろう。最初にこの文章に出くわしたとき「まさか?」と信じられなかった。が,このあとの説明を読んで「そういうことであったのか」としみじみと納得してしまった。このさわりの部分は,ぜひとも,本文で確認していただきたい。

ここで問題にしたかったのは,まるで,ごく当たり前のように使われ,あたかも,中国伝統の考え方であるかのように広く流布し,かく申すわたしもそう信じていた,この有名な「中華思想」が,なんの根拠もないでっち上げにすぎない,ということだ。岡田英弘氏は中国史の専門家として高く評価されているばかりでなく,歴史理論家としてもひろく知られている。わたしなども氏の書かれた本から多くのことを学んだ。たとえば,『歴史とはなにか』(文春新書)や『世界史の誕生』(ちくま文庫)などの本は,いまのわたしの歴史観に大きな影響を及ぼしたことは間違いない。

その尊敬あたわざる岡田英弘氏が,このような「眼からうろこ」のような話を書いていらっしゃるのだから,信じないわけにはいかない。なにより驚いたのは,「中華思想」を言いはじめた人間は漢民族ではない,という事実である。しかも,それを言いはじめた皇帝は北方の遊牧民の出身であった,という事実である。みずからの出自を「正統化」するための方便として考え出されたのが直接的な契機になっている,というのだ。つまり,歴史を改竄するための方便として用いられたのが,そのまま,伝承され,定着してしまった,というのだ。

ひとむかし『創られた伝統』という本が話題になったことがあるが,この例もまた「創られた伝統」の典型である。

それから,この本を読んでびっくりしたもう一つの事実がある。中国の歴代皇帝のほとんどは北方からやってきた遊牧民出身である,という事実。その事実を隠すために,いわゆる「正統史」はすべて改竄されているという。そうしないと,みずからの出自を隠すことができなかったからである。

まずは驚くべき国,中国,である。

わたしたちはもっともっと中国について知るべきだ,とこの本を読んでしみじみと思った。これまであまりにも中国のことを知らなすぎた,とみずから反省である。その意味では,今回の北京オリンピックはとてもいい機会にはなった。気がつけば,いわゆる「中国もの」と呼ばれる本を10冊以上も読んでいる。知れば知るほど不可解な国,中国,である。

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2008-10-31 北京オリンピック開会式の話。

_ 李自力老師が,わたしの昼食を買って,遊びにきてくれた。食事をしながら,話がたまたま北京オリンピックの開会式に及び,面白い話題を提供してくれた。

開会式のときの太鼓を叩いていた男性たちは,みんな175センチから180センチのイケメンを揃えたとのこと。全国の大学生の中から選ばれた人たちだというのである。しかも,ヘア・スタイルも床屋に行って整髪する時期も全部揃えてあったとのこと。そういえば,グラウンド全面に繰り広げられたマスゲームをやっていた男性たちもまた,同じヘア・スタイルで,ほぼ同じ身長だったなぁ,と思い出す。この人たちもまた体育大学の学生さんたちで,全国から選ばれた人たちだという。このブログでも書いたように,北京体育大学は一年前から大学は閉鎖して,学生たち全員がなんらかのかたちで北京オリンピックに参加するための準備に従事していた,という。開会式に動員をかけられた女性たちも,全国の大学生の美人のなかから選ばれたのだという。こういう人海戦術は中国は得意ですよ,と李老師の弁。

開会式のCGを使った演出や,少女歌手の「口パク」などが,ひところ話題になったが,こんなことは大したことではない,当たり前のことだ,というのが李老師の見解。中国的に考えれば,なんの問題もない,と。つまり,最終的な目標である「感動」を呼ぶための演出であれば,いかなる手段を用いようとそれでいいのだ,と。その意味で,北京オリンピックの開会式の演出は大成功だったというのが李老師の見解である。なるほど,日本的な感覚とはかなり違うものなんだなぁ,と教えられる。そういえば,李老師はこれまであまり自分のカラーを出すことがなかったが,最近,とくに北京オリンピック以後,やはり中国人だなぁ,と思うことが多くなってきたように思う。なにか,一皮剥けたというべきか,自分の地の部分を隠そうとしなくなったように思う。なにが,かれをそうさせているのか,とても興味のあるところ。自信に満ちた言動がきわだってきている。

それから,もう一点。中国人にとって国家のために役立つということはとても大事なことであって,他のいかなるものよりも優先する,という。第二次世界大戦前の日本のような考え方が,いまの中国には徹底しているのだ。李老師も子どものころから(たしか,12歳ころから),太極拳のプロとして全国を表演して回ったという。ご両親も,国家のために頑張れ,と応援してくれたし,自分も誇りに思っていた,という。

ついでに,李老師の家系はたいへんなものらしい,ということが今日,ちょっとだけわかった。かれのおじいさんのおじいさんは,ある皇帝の一族の出身である,というのである。子どものころ,その家系図をみせられてびっくりしたことを覚えている,と。つまり,中央での権力闘争から逃れて,雲南省にやってきたのだ,と。その当時,北京から雲南省の昆明まで歩いてくるには2年を要したという。そういう隠れ里が昆明という土地だったというわけである。

まあ,なんだか,今日は久しぶりに李老師と昼食をともにしながら,遠い過去に思いをはせる話題に終始して,またまた親しさが増した。この人の人間的魅力の奥深さを垣間見たように思う。

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