Diary


2009-08-01 89歳で作家になった人。

_ 今日(8月1日)の朝日の夕刊に,「取材執筆18年,89歳で作家に」という記事が載っていて,感動した。

作家久木綾子さん。すごい人だとこころを撃たれた。

まず,つかみの記事を引用しておこう。

山口市の瑠璃光寺にそびえる国宝の五重塔と,この塔を建てた若い番匠(職人)の姿を描いた歴史小説「見残しの塔」が静かな話題を呼んでいる。作者の久木綾子さんは70歳で塔と出会い,取材に14年,執筆に4年をかけ,89歳で作家デビューした。遅咲きの作家が取材と執筆を通して見つめた生のあり方とは・・・。

さらに記事を読んでみると,つぎのようである。

ごくふつうの専業主婦として生きて,70歳のときに夫を亡くし,その翌年に旅行で瑠璃光寺を訪ね,運命的な出会いをする。瑠璃光寺の五重塔を見た瞬間に,「あの世が透き通って見えたのです。塔を建てた人たちの姿が見え,塔があの世とこの世を分ける結界のように思えました。この美しい塔を建てた番匠の物語が頭に浮かんできて,ついに自分が書くべきものに巡り合った,と思いました」という。

向こうからなにかがやってくる。それにそのまま反応する。少しかっこうよくいえばアフォーダンスそのものだ。しかも「あの世が透き通って見えた」とおっしゃる。今福さんのいう「透視する」「幻視する」である。こういう方法を,こんにちのアカデミズムは忌避する。しかし,文学の世界や詩学の世界では,これは当たり前の話である。問題はこのような方法を是とした上で,どこまでその裏づけをとりつけるか,だ。だから,久木さんは取材に14年をかけ,計35回も五重塔に足を運んでいる。そうして,おそらく,もうこれ以上の情報はないというところを見きわめたところで,執筆に入る。そして,4年をかけて,推敲に推敲を重ね,一冊の歴史小説としてまとめていく。

こういう運命的な「出会い」をとおして,ふつうの専業主婦から作家への道を歩みはじめる。ある意味ではとても幸せな人だ。しかし,こういう運命的な「出会い」ができるような人生を70歳になるまで積み上げてきた,という事実を見逃してはならない。なぜなら瑠璃光寺の五重塔と感慨深く向き合った人はどれほどの人に達するだろうか。その大勢の人たちの中から,たったひとり,久木さんだけが運命的な「出会い」をしている,このことが重要だ。出会うべくして出会っているのだから。おそらくは,この五重塔を建てた番匠たちと肝胆相照らしあうような人生の積み上げがあったからこそだろう。その意味では,久木さんが70歳まで,どのような人生を刻んできたのか,ということに関心が動く。「開かれた」こころの持ち主であろうし,あるがままをそのまま受け止めることのできる感性を磨き上げてきたのであろう。

大きな写真が掲載されているので,そこからもお人柄が透けて見えてくるように思う。まずは,姿勢がいい。背骨がまっすぐである。そして,眼に力がある。とても89歳にはみえない。チャーミングである。いま,すぐにでも会ってみたい。こんな加齢の仕方はどうやったら可能なのだろうか,と羨ましくさえなる。

70歳からとはいえ,一つの大きな志と目標をもって齢を重ねるということが,どれほどその人の容姿を美しくつくりあげていくことか,その見本のような人である。年齢などに関係なく,久木さんのような運命的な出会いでなくてもよい,ささやかな「志」を胸に秘め,大きな目標をもって日々「萌の襲」を味わえるような生き方をしてみたい,としみじみ思う。

早速,久木綾子さんの『見残しの塔』(新宿書房)を読んでみたいと思う。そして,この人に少しでもあやかれるよう,まずは,熟読玩味することからはじめてみるとしよう。

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2009-08-02 神戸市外国語大学の集中講義。

_ 今月の10日(月)から三日間の予定ではじまる神戸市外国語大学の集中講義のことが気になってきた。さて,この集中講義をどのように通過するか,それが問題だ。

このところ予想以上に密度の濃い時間をすごしている。ありがたいことである。このブログでも書いたように,7月12日(日)には三鷹天命反転住宅でトーク・セッションがあり,柳澤田実先生(南山大学・キリスト教思想史)とお話をさせていただいた。東大の表象文化論の分野で学位論文を書かれた若き才媛である。しかも,ご専門はキリスト教思想史だというので,いささか緊張する。南山大学にお勤めでキリスト教学科に所属されていると聞いて,やはり,イエズス会のことはおさらいしておかなくてはと考え,門脇佳吉さんの本などを読み直したりしたし,柳澤先生が編集された2冊の本(送ってくださった)も必死で読んだりして本番に備えた。この緊張のなかで準備をしながらあれこれ考えることが,浅い思考をいくらか深くする上でとても役に立つ。終わってみたら,やはり,これまでとはまた少し違った景色が見えはじめた。

それから2週間後の7月25日(土)には,名古屋の椙山女学園大学の月例研究会で「<今福龍太>論─私的読解」なるプレゼンテーションをした。こちらはもうずいぶん長い時間をかけて準備をしてきたものではあるが,やはり,この2週間は必死で頭のなかを整理するための読書に当てた。レジュメも用意して準備万端を整えて行ったのだが,司会者のアドリブに乗せられて,ほとんどフリーハンドのままでプレゼンテーションを行うことになった。が,これがわたしにとってはとてもよかった。なぜなら,司会者から投げつけられたボールをそのまま受け止め,とっさのアドリブで道筋を立てながら話をするという絶好の機会を与えられたからである。ゆるみはじめている頭をフル活動させることになり,久しぶりに活性化させることができた。司会者に感謝である。

そこから,さらに2週間後に,神戸市外国語大学の集中講義である。久しぶりに学生さんを前にして立つ。想像しただけで緊張する。もう,若い人たちと接することがなくなって1年半がすぎようとしている。語りかける呼吸も忘れてしまっている。でもまあ,そんなことはともかくとして,この集中講義をとおしてなにをメッセージとして伝えようとしているのか,と自分に問いかける。テキストは,今福さんの『ブラジルのホモ・ルーデンス─サッカー批評原論』(月曜社)である。このテキストも,すでに,「ISC・21」の月例会でなんどとなく取り上げ議論を積み上げてきている。その上,5月16日(土)には,青山学院大学で,今福さんにもお出でいただいて合評会を行っている。そうした成果をやまえた上で,さて,神戸市外国語大学の学生さんたちに,なにを投げかけようとしているのか,と。

伝えたいことは山ほどある。でも,メッセージは研ぎ澄ませた方がいい。あれもこれもとてんこ盛りにするよりは,思い切り絞り込んだ核心に触れさせることの方がいい。そして,できれば三日間の集中講義のなかに,ある流れをつくった方がいい・・・とまあ,だんだんと欲がでてくる。この考える時間が貴重だ。最後は時間切れで本番に臨むしかないのだが,それでも最後まであがくことが大事だ。こうして少しずつ思考のレベルも上がっていく。そのためのチャンスなのだから。

いま,テキストである『ブラジルのホモ・ルーデンス』を眺めている。表紙のカバーからして,まことに不思議なつくりになっている。森山大道の撮った写真に薄く透けてみえる特殊なカバーがかけてある。ここにも今福さんの本づくりに関するたくまざる仕掛けを読み取ることができる。その「透けてみえてくる」森山大道の写真は,なぜか,女性の下半身ばかりである。その上にかけられた帯は黄色。まさに「イエロー・カード」である。しかも,そこに踊っているコピーがすごい。「勝敗原理の抑圧と『評論』に叛乱するサッカー批評の戦闘的論考」とある。そしてさらに,その裏側には「歴史として捏造されたにすぎない勝利や戦術といった概念に,サッカーのすべてを売り渡してしまう必要はないのだ」と,まさに「戦闘的」であり,「挑発的」である。イエロー・カードぎりぎりのコピーが踊っている。心憎いほどの演出である。

しかも,よくよくみれば,サブタイトルである「サッカー批評原論」という文字が小さく凝縮していて,しっかり見ないと読み取れないほどだ。ここまで小さくしなくてもいいのではないか,と思って眺めていたら,やはり,これもまた今福さんの仕掛け以外のなにものでもないことがわかってくる。なぜなら,「批評原論」という思考法そのものが,いかにもヨーロッパ的であり,固定的である。そうしたヨーロッパ的な思考法そのものをいかにして打破し,そこから離脱し,移動していくか,そのためのもう一つの方法論がメイン・タイトルになっている「ブラジル」であり,「ホモ・ルーデンス」なのだ。こちらの文字は,サブ・タイトルに比べたら圧倒的に大きい。こんなところにも今福さんの心憎い演出がなされている。こうした読解は,今福さんの近著である『身体としての書物』(東京外国語大学出版会)を読んだ人間ならすぐに思いつく。手の内がじつに懇切丁寧に説明してあるからだ。そして,本づくりにたいする思い入れの強さは並ではないことも伝わってくる。こういう今福さんのような人の本の装幀を担当したデザイナー(大橋泉之)も大変だったろうと思う。

とまあ,こんなことを考えながら,集中講義の構想をあれこれ思い描いている。でも,これは楽しい,じつに楽しい準備である。こんな時間は永遠につづいてほしいものである。

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2009-08-03 増田明美さんからお便り。

_ あの女子マラソンの増田明美さんからお便りがとどいた。ちょっと丸い文字で,あの人の人柄が伝わってくる文面だった。

『こどもと体育』(光文書院)というがあって,その「No.148」(5月22日発行)で増田さんは「文学にスポーツを読む」というエッセイを寄せていらっしゃる。その同じ号で,わたしは「わたしの『からだ』は『抜け殻』のようなもの?」という文章を投じていた。この雑誌を手にしたとき,真っ先に読んだのが増田さんのエッセイだった。

ちょうど,その少し前まで,朝日新聞紙上で,黛まどかさんとの往復書簡が連載されていて,毎回,とても楽しみながら読ませてもらっていた。黛さんはことばの専門家だから当然としても,増田さんがとてもきれいな日本語を操って,みごとな書簡を書いていらっしゃるのをみて,この人はただものではない,と強く意識していた。そこにこの雑誌での同時掲載である。

これはなにかのご縁に違いないと勝手に想像して,わたしから増田さんに『○○文学のなかにスポーツ文化を読む』(叢文社)のシリーズのなかから2冊ほどを選んで,ラブレターを添えて送った。もちろん,住所もなにもわからないので,光文書院の担当編集者である高宮さんに間に入ってもらって,届けていただいた。それは6月の中旬ころだったように思う。

その後,なんの応答もなかったので,多くのファン・レターと同じ扱いを受けてしまって,それきりなのだろうと諦めていた。そうしたら,今日になって突然のお便りである。担当編集者の高宮さんからも,増田明美さまからお便りがありました,とメール(添付して)で知らせてくれました。増田さんは忘れていたわけではなく,忙しくて遅くなっただけのことだとわかり,とてもありがたいと思いました。文末に「いつかお会いできますことを楽しみにしています」とあり,チャンスがあれば会えるということがわかり,これはなにがなんでもチャンスをつくらなくては・・・と虎視眈々。

さて,どうやってこのチャンスをつくるか・・・。これが問題。なにかのシンポジウムに誘い出すか。なにせ,プロダクションの事務所に所属するタレントさんですから,そんなにかんたんには話は進まない。どんな風にして会うにしても,ややこしい手続が必要だ。まあ,慌てずに,じっくりとそのチャンスがやってくるのを待つとしようか。

それにしても,諦めかけていた人からのお便りの返信である。こんな風な,つまり,ファン・レターを書いたのも初めて,そして,その返信がもらえたのも初めて。すべて「初めて」ずくし。童心にかえって,こころの赴くままに,正直に行動しよう,としみじみ思う。なにも,いまさら恥ずかしがる必要もなかろう,と。それよりも自分の気持ちに素直に行動しよう,と。

人生は楽しくなくてはいけません。と,自戒のことば。

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2009-08-04 ブラジルのサッカー

_ 神戸市外大の集中講義のためのノートづくりにとりかかって,今日で三日目。毎日がとても楽しい。これまでとはまた違った意味での「知の冒険」が待っているから。

テクストは,今福さんの『ブラジルのホモ・ルーデンス─サッカー批評原論』(月曜社)。そのなかに,2章にわたって展開されている「陶酔論」という章がある。ヴァルター・ベンヤミンの『陶酔論』を援用しながら,今福さんの「陶酔論」が,眼からうろこが落ちるような説得力に満ちた論考として,繰り広げられている。圧巻である。この「陶酔」こそ,人間にとっての「ミニマ・グラシア」の重要なひとつに違いない,とわたしは確信する。しかも,さまざまなことを「幻視」しながら。これまで,いまひとつ納得できなかった部分も,「<今福龍太論>私的読解」のプレゼンを通過したお蔭で,すっきりした。今福さんの論考は奥行きも幅も広いので,いま現在のわたしの理解でいいのかどうかは別にして,とりあえず,私的には納得。ひょっとすると,集中講義をしている最中にもっともっと面白い「読解」が生まれてくるかもしれない。それをこそ期待したいところではあるが・・・,はたしてどうか。

この「陶酔論」のつぎにあるのが「戦術論」。そのサブ・タイトルは「互酬性のリズムに揺れながら」とある。で,この「互酬性のリズム」については,とてもわかりやすい具体的な試合の様子が紹介されていて,それこそ読みながらドキドキしてしまうほどの臨場感とともに,今福さんのメッセージが伝わってきた。しかも,この「互酬性のリズム」をとおして「陶酔」にいたるブラジル・サッカーの面白さもよく伝わってきた。

でも,それだけでは終わらないのが今福さんの論考の深さだ。この具体性をテコにして,抽象的な思想の世界に踏み込んでいく。ここからが楽しい知的格闘のはじまりである。インターリュードが終わって,いよいよ第三楽章に突入というところ。今福さんは言う。

戦術は歴史である,いや,戦術は歴史に過ぎない,そうあらためて確認せねばならないほどち,サッカー評論における戦術の無条件の君臨がはなはだしい。たかだか百数十年程度の歴史のなかで,西欧のエリート的ハビトゥス(特定の階級・集団による行動と知覚の様式を生産する規範システム)が大衆化させた勝敗や戦術の理念形態が,いまやスポーツを統べる無条件の原理として戴かれる・・・・。サッカー的情熱も,サッカー的知性も,勝利の切望と戦術への理解を通じてしか入手できないものであると,誰もが信じ込まされている・・・。

という具合に追い込んでおいて,ここから今福さんの反撃の開始である。しかし,その方法もまた今福さん独特のものだ。

だが人間の身体は,おそらく数千年,あるいは数万年にさかのぼる種的・民族的な時間感覚が生み出してきた意識と肉体の均衡感覚を,まちがいなく喚び出すことのできる装置としていまだ生き続けている。そして現代のサッカーが,わずかでもそうした多層的な身体へ向けて私たちの身体意識の閉塞を解放する可能性を宿しているならば,歴史として捏造されたにすぎない勝利や戦術といった概念に,サッカーのすべてを売り渡してしまう必要はないのだ。

さて,この文章をどのように「読解」するか。なんとも含蓄のある文章である。長い人類史をどのようにイメージするか,それによってこの文章の「読解」は違ってくるのだろう。

しかも最後に,つぎのように「落ち」をつける。

勝利という強迫観念と,それを目指してつくられる戦術という足枷を相対化し,判断停止の状態に追い込み,その宙づりを正しく見据えながらゲームを生きる,新たなエシックスの創造を,私たちは強く求められているのである。

さてはて,この文章をどう読み解くか。エポケーを突き抜けたところに「正義」が立ち現れる。その「正義」に支えられた新しい「倫理」の誕生こそが待ち望まれている・・・とわたしは受け止める。そして,この文章の背後には,明らかに,ブッシュ君がとった「テロとの戦い」と,それに対して異を唱えることのできない「世界」を視野に入れた,今福さんどくとくの諧謔をわたしは読みとりたい。つまり,ブッシュ君,「正義」というものは君が考えているようなものではないんだよ,と「相対化」することによってエポケーの状態に追い込むことが先決だろう,と。

こうして,ブラジルのサッカーを批評するという営みが,そのまま「世界を批評する」ことへとつながっていく。これが今福さんの主張する「サッカー批評原論」。

このあとに,じつは,ヴィレム・フルッサーの『ブラジルの現象学』が紹介され,さらに,現象学的な視点からブラジルのサッカーが分析され,サッカーなるゲームの本質に迫っていく。残念ながら,今夜はここまで。時間切れ。

それにしても,一度,ブラジルのサッカーを,本場のサンパウロでからだごと呼吸してみたいものだ。

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2009-08-13 神戸市外国語大学の集中講義が終わりました。

_ ずいぶん長い間,ブログを休んでしまいました。今日の夕刻,神戸市外国語大学の集中講義からもどりましたので,このブログも復活です。

8月7日(金)に家をでて,研究会やお参りや教え子の会などに顔をだして,10日(月)から12日(水)まで,集中講義と格闘してきました。一日5コマを三日間ですので,かなりのハード・ワークでした。しかし,学生さんの質がとてもよくて,まじめに真剣に耳を傾けてくれましたので,わたしの方は楽しく授業を展開することができました。久しぶりに至福の時をすごすことができました。ありがたいことです。

集中講義の授業科目は「スポーツ文化論演習」というもの。テクストは今福龍太著『ブラジルのホモ・ルーデンス』−サッカー批評原論(月曜社)。この本を読みながら,スポーツ文化とはなにかをみんなで考えてみよう,という次第。学部の学生さんにとってはかなり難解な文章と内容ですので,大丈夫かなという不安がありましたが,まったくの杞憂でした。プレゼンテーションを担当した学生さんはみんな必死で勉強して,議論しやすいレジュメも用意して,準備万端おこたりなし,でした。それになによりこの演習に臨む態度がいい。ひとつでも多く吸収して自分のものにしようという意欲がありありと伝わってきて,逆に,こちらが元気をもらうような場面がいくつもありました。

まあ,なにせ,いきなり「サッカー批評」とは,世界批評である,というテーゼが飛び出すこのテクストのことですから,あちこちに意表をつく文章や内容が埋め込まれています。はじめから最後まで「今福節」がうなりをあげているのですから・・・・。学生さんたちは大変だったと思います。よくもまあ,弱音をはくことなく,最後まで頑張ってくれた,と感心しました。こういう学生さんたちだったら,これからもとても楽しく授業ができるなぁ,としみじみ思いました。

最終日には,学長さんにもお会いすることができました。10分ほどご挨拶を,という約束が,25分もおしゃべりをしていました。とても気さくな学長さんで,わたしもついつい調子に乗ってしまって,あっという間に25分が過ぎていました。

ここからもどってきたら,学生さんたちが「打ち上げコンパ」なるものを準備して待っていてくれました。キャンパスのなかに同窓会館があって,コンパができる,これはまことに好都合。実費会費で懇親会ができる。こういう配慮が大学側にあるというところがなかなかよろしい。みんなひとりずつ,演習の感想を述べてくれ,これがまたとても暖かいことばが続出して,涙がこぼれそうになりました。そして,最後に寄せ書きをした「色紙」をプレゼントしてくれました。

家にもどってから読んでみたら,とても嬉しいことばがいっぱい書いてありました。たとえば,「この4年間に学んだどの授業よりも『濃い』内容で大満足しています」とか,「毎時間,毎時間,ドキドキしながら坐っていました」とか,「自分の思考がつぎつぎに開かれていくことがわかりびっくりしました」とか・・・・。こんなに褒められてしまっていいのかなぁ,でも,あの学生さんたちは嘘はつかないだろう,などと自問自答しています。これはもう完全に,新しいわたしの宝物となりました。21世紀スポーツ文化研究所の事務所に飾っておこうと思います。

この演習は後期にもあって,12月16日(水),17日(木),18日(金)の三日間です。すでに宿泊の予約もしてきました。テキストは『近代スポーツのミッションは終わったか』─身体・メディア・世界(平凡社・9月10日刊行予定)。西谷修,今福龍太の両氏にわたしが加わった共著です。この5,6年にわたって3人で積み上げてきたシンポジウムをまとめたものです。すでに,各シンポジウムごとに,なんらかの形で公表されてきたものばかりですが,これらを全部集めてみると,これもまた圧巻です。しかも,西谷さんも今福さんも丁寧に推敲を何回も重ねてくださり,わたしの発言のところを除けば,それはそれはすばらしい読物になっています。乞う,ご期待!というところ。

「サッカー批評」とは,世界批評である,という今回の演習のテーマをしっかりと受け止めて,後期は,「スポーツ批評」とは,世界批評である,というさらに大きなテーマへと展開することになります。さてはて,次回には,神戸市外国語大学の学生さんたちが,どのような反応を示すか,いまから楽しみです。

以上,神戸市外国語大学集中講義のご報告と予告まで。

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2009-08-14 平凡社の本,まもなく刊行。

_ 神戸からもどってきたら,平凡社から出す予定の本の最終稿のゲラがとどいていました。予定どおりに進めば,9月10日には配本とのこと,胸がときめきます。

考えてみれば,もう,ずいぶんと長い間,格闘してきた平凡社本がようやく最終コーナーを回って,ホーム・ストレッチにさしかかったというのが実感です。共著で一冊の本ができあがるにはかくも大変なプロセスを経ていくものだということを身にしみて感じました。

もう,何回も書いてきましたように,タイトルは『近代スポーツのミッションは終わったか』──身体・メディア・世界,です。今福龍太,西谷修の両氏との共著という夢のような話です。こんな光栄なことはありません。パスカルではありませんが,神は存在するか,しないか,どちらに賭けるかと問われたら,間違いなく神さまは「存在」する,という方に賭けることでしょう。わたしにとってはそれほどの大きなできごとです。長い人生を生きてきて,ほんとうによかったと思います。

しかも,これを機会にまたなにか新しいことがはじまりそうな予感がしていて,これからの人生はますます楽しくなるのではないか,と楽しみにしています。長い間,溜め込んできたアイディアのいくつかを,これから公表できるようになるのでは・・・という期待です。残り時間はけっして多いわけではありませんが,体力・気力のあるうちになんとか・・・とみずからを励ましているところです。

9月に入れば新聞広告もはじまりますので,どうぞ,みなさん,注目していてください。間違いなくいい本に仕上がってきますので,友人・知人にもご紹介していただけると幸いです。

以上,近況のご報告まで。

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2009-08-15 「耐え難きを耐え,忍び難きを忍び・・・」

_ 8月15日という日。一般的には「終戦記念日」という。しかし,これは占領軍のことばの受け売りではないか。正確には「敗戦記念日」というべきではないか。

いまを去ること64年前の8月15日の正午に,世にいう「玉音放送」が流れた。朝から真っ青な夏空がひろがり,太陽がじりじりと肌を焦がし,蝉が大合唱をくりひろげていた。まるで時間が停まってしまったような感覚のなかで,寺の広庭の日陰で従姉妹たちとままごと遊びに夢中だった記憶がある。突然,「みんなこっちに来なさい」という声が家のなかから聞こえた。いつもとは違う,切迫感があった。

親戚の伯父さん,伯母さん,そして両親がラジオの前に坐っていた。なにごとだろうと訝りながら従姉妹たちと一緒に家のなかに入る。ラジオが雑音混じりになにか言っている。音声が大きくなったり小さくなったりと波うっている。ラジオの前に坐っている大人たちからはなんの説明もなく,ただひとこと,「ここに坐りなさい」とだけ言われた。わたしが国民学校(いまの小学校)2年生の夏のことだ。

もはや記憶も定かではないが,大きく波うつ雑音だらけの音声が,いつものアナウンサーの語り口調とはまったく次元の異なる「朗読」に変わった,と思った。なにか不思議な物語を聞かされているような,それでいてほとんどなにを言っているのか理解はできなかった。どういうわけか,「・・・・耐え難きを耐え,忍び難きを忍び・・・・」というフレーズだけが耳に残っている。あとは,なにも記憶がない。

この「玉音放送」を聞く数カ月前,豊橋市で空襲に遭い,家も家財もすべて焼かれて,命からがら母の実家の寺に疎開した。この空襲のときの体験も,疎開してからの爆撃も,ほとんどだれにも語ったことはなかった。語りたくなかったからだ。いや,思い出したくもなかったからだ。それほどに強烈な体験だった。できることなら,すっかり忘れてしまいたい,とずっと思っていた。しかし,辛い記憶ほど鮮明に残っている。その上に何枚ものフタをして,二度と記憶が蘇えらないように・・・と願ったがそれは無駄だった。まるで,写真のフラッシュのように,つぎつぎに脳裏をかすめていく。

わたしにとっての8月15日という日はそういう日である。

こういう記憶をもった人も次第に少なくなっていく。そのことを思うと,やはり,なんらかの方法で語り継ぐ必要がある,と頭では理解する。しかし,気持ちは拒否である。からだが嫌がって,語ることを拒否をする。でも,ブログでこんなことを書く気持ちになっただけでも,わたしのなかに多少の変化が起きていることがわかる。

いつの日にか,全部,吐き出してしまって,すっきりしたいとも思う。しかし,そんなに単純なことではない,とも思う。いま,しばらくは,揺れ動く気持ちのままに身をゆだねておくしかなかろう,とみずからを慰める。

いまも,世界の各地で,武器で身を守られることもないまま,無為の「死」と向き合いながら日々を送っている人びとがいる。その人たちのこころの不安を思うと,わたしのこころも一足飛びに「国民学校2年生」にもどっていく。まるでニーチェのいう「永遠回帰」のごとくに。

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2009-08-16 「終戦記念日」が自前の発案だったとは・・・。

_ 松浪君のツッコミによって,「終戦記念日」という表現の根拠を知ることができました。早速,松浪君の出典を読んでみたいと思います。

だれが,いつから,「終戦記念日」と言いはじめたのか知らないままこんにちまでダラダラと生きてきて,ようやくその根拠を知って,びっくり仰天です。おやおやそうだったのか・・・と。「左右のイデオロギーが背中合わせにもたれ合った産物」だったとは・・・・。

となれば,なおのことこんごは「敗戦記念日」という表記を大事にしたいとこころに決めました。それが9月2日でなくてもいい。ジャーナリズムが足並みを揃えて「終戦記念日」と呼び,右から左までのすべての政党もみずから「終戦記念日」と呼ぶのであれば,なおのこと,一個人の「記憶」を再確認するためにも「敗戦記念日」と呼ぶことにしよう,とつよく思う。日本人の圧倒的多数が「玉音放送」を境に,「日本は負けた」とみずからに言い聞かせたことに間違いはない。これだけが唯一,日本国民が共有できる「記憶」だったのだから。

繰り返すことになるが,わたしにとっての1945年の「8月15日」の記憶は,母の実家の寺の「広庭」(本堂の前の庭のこと)でのままごと遊びと直結する。じりじりと地面に焼きつくような太陽の日差し,真っ青な空,そよとも吹かない風,そして,大音声ともいうべき蝉時雨,まるで時間が止まっていたのではないか,というかすかな記憶。

そこから,つぎの記憶は,「ラジオの前にきて坐りなさい」と言われた声に飛ぶ。しかし,その声がだれのものだったのか思い出せない。あとは,ラジオの雑音,大きく波を描くように揺れる音声,そして「耐え難きを・・・」という独特の節回しの天皇の声。それがなにを意味しているのかは,あまりに幼かったわたしには理解できなかった。

しかし,「玉音放送」が終わって,大人たちがなにやら小さな声で話していることに聞き耳をたてているうちに,「日本が負けた」ということを知った。なにか緊張が解けて,ほっとしたような気分だった,そんな気がする。この記憶も定かではない。あるいは,「負けたなんて・・・」という失望もあったような気がする。なにせ,少国民になるべき徹底した教育を受けていたのだから。天皇がなんであるかも知るよしもなく,ただ,ただ,万歳と言えと言われれば,みんなと同じように「万歳!」と叫び,絶対的な指示にしたがって行動することだけが身についていたのだから。

いずれにしても「負けた」ということだけは強烈な印象となって残っている。だから,わたしにとっては,いまでも,まぎれもなき「敗戦の日」なのだ。少なくとも「終戦」などという穏やかなものではなかったことだけは確かである。「敗戦」を知らされた「日」以外のなにものでもない。だから,あえて言うとすれば,わたしにとっては「敗戦記念日」としか言いようがない。

政治とメディアが一体となって,「敗戦記念日」を「終戦記念日」にすり替えてしまう,歴史修正主義がここにも立派に機能していたという事実を,松浪君のツッコミが教えてくれた。わたしたちの「記憶」が,無意識のうちに「修正」されてしまうことの恐ろしさを肝に銘ずるべきだろう。

「8月15日」という日を毎年,ふり返ることの重要な根拠・理由・意味がひとつ明確になった。松浪君,ありがとう。感謝です。

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2009-08-17 平凡社の仕事に一区切り。

_ 今日でようやく平凡社の最終稿のチェック完了。これで完全に著者の手から離れて,あとは出版社サイドの詰めを残すのみ。

いまのところの予定では,9月3日に見本,10日には配本されるとのこと。楽しみだ。考えてみれば,こんなに手のかかった本は初めてだ。やはり,3人の共著というのは,それぞれに都合があって,とりわけわたしを除くお二人は超多忙の人たちなので,なかなか足並みが揃わない。西谷さんに至っては半年間フランスに出張ということもあって,フランスとやりとりしながらの仕事だった。

今回の最終稿は,図版もキャプションも脚注も全部揃ったものだったので,チェックをしているのか,内容に引き込まれて読みふけっているのかわからなくなることがしばしばだった。ここにくるまでに,いったい何回,全体を読み通したことになるのだろう。不思議なのは,読むたびに印象が変わるということだ。もちろん,わたしを除く著者のお二人は,ゲラの校正のたびにしっかりと推敲をして,どんどん文章がよくなっていく。内容的にはそんなに変わっているわけでもないのに,読む側の印象はずいぶんと違う。やはり,念入りな推敲がどれほど大事なことか,ということを痛いほど教えられた。

結果的には,自分の発言部分の文章があまりにお粗末・・・ということばかりが目立つことになってしまった。まあ,格が違うのだから仕方がないとはいえ,あまりにみじめ。同じ話し言葉だというのに,これほどまでにシャープさが違うとは。もう手遅れではあるが,できあがってから推敲の差というものをしっかりと検討してみたいと思っている。

まあ,言い訳がましいことはさておき,やはりこの本の全体的な仕上がりはみごとというべきだろう。タイトルの『近代スポーツのミッションは終わったか──身体・メディア・世界』も気に入っている。今日,読み終えた段階でも,近代スポーツは明らかにひとつの使命を終えて,まったく新たな段階に一歩踏み出している,という印象が強烈に伝わってくる。最後の最後のところで,西谷さんが,これからのスポーツ・イベントは世界史の主役に躍り出た,と断言し,スポーツ・イベントをとおして透けて見えてくるものを精確に把握していけば,いま世界で起きていることがらの核心部分がみえてくる,というのである。その典型的なものが,北京オリンピックであり,このイベントをとおして中国はようやく世界史の主役に躍り出たのだ,と。このことの意味するところは大きい,と強調している。

今福さんは『ブラジルのホモ・ルーデンス』の序章の見出しタイトルに「サッカー批評とは,世界批評である」と断言し,のっけから読者を挑発している。この立場と,この平凡社本はみごとに共振・共鳴している。そして,驚くべきことに,この数年の間にわたし自身の考え方が急速に進化している。やはり,このお二人のお蔭としかいいようがない。何回もシンポジウムという超緊張する場に同席させてもらって,それなりに思考を重ねるうちに,筆舌につくしがたいほどの大きな影響を受けているのである。そうして,ようやくこのお二人の立つ思考の地平というものがわたしの視野のなかに入ってきた。わたしにとっては「これからだ」「これからが勝負だ」というのが実感である。「あとがき」にも書かせてもらったことだが,この本を世に送り出すことによって,ようやく新しい「スポーツ批評」の「スタート地点」に立つことができた,と。本気でそう思っている。

遅きに失したというのが正直なところではあるが,それでもなお,これからの思考と言説に,わたし自身の「いのち」を吹き込み,心血をそそぐべきだ,とみずからに言い聞かせている。これからしばらくは世間の雑音をできるだけ遠ざけて,深い思考のなかに身を沈め,「萌の襲」を楽しみたいと思う。どこまでできるかどうかは別にして,とにかく,そこに向けて身もこころも投げ出してみたい。

なんだかとんでもない決意表明をしているではないか。書いているわが身が恐ろしい。でも,こんなことを書かせてしまうほどのインパクトが,まもなく世にでる本の最終稿にはあった,ということだけは間違いない。みずからを叱咤激励できる本を世に送り出すことの僥倖をしみじみと思う。幸せなことである。

「あとがき」を書いた日付は3月26日。それから半年の歳月が流れようとしている。それだけに喜びも一入である。

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2009-08-18 気がつけば秋風が・・・・。

_ つぎつぎにやってくるハードルをなんとかクリアしなければ・・・と思って必死になって走りつづけていたら,いつのまにやら秋風が吹いている。

よくもまぁ,走りつづけたものだと,ふと思う。でも,とても充実していたので楽しくもあった。時間の密度が濃くなりはじめたのは,三鷹天命反転住宅でのトーク・セッションの準備にとりかかったあたりからだっただろうか。なにせ,まったく面識のない人で,しかも他分野の人とのトークというので緊張もした。どんなことを考えていらっしゃる方なのかを知るだけでも相当の時間を要した。でも,新しい発見がいろいろあって,終わってみればとてもいい経験だったと思う。それが7月12日のことだった。

それからほぼ2週間後には「今福龍太論─私的読解」なるものを名古屋例会が待っていた。この間に,大急ぎで今福さんの本を再読した。これはかなりハードな作業だった。でも,これもまた新しい発見がつぎつぎにあって,ハードではあれ楽しかった。これまでとは違った視野を確保することができたので,やはり,やってよかったと思う。ときには自分を丸裸にして,みなさんの前に投げ出してみるのもいいものだ。逃げも隠れもできない場所に自分をさらけ出すには勇気がいるが,ときには必要。

これが終わったら,こんどは神戸市外大の集中講義が待っていた。こちらも2週間後。でも,この集中講義は今福さんの『ブラジルのホモ・ルーデンス』をテクストにしたので,その意味では,名古屋例会の延長線上にあるもの。とても見晴らしがよくなった分だけ,考えなくてはならないことも増えた。そのためのノートづくりも大変だった。でも,久しぶりに勉強したなぁ,と実感する。

しかし,実際の集中講義のときには,このノートを忘れてしまった。だから,全部,アドリブでやるしかなかった。これまでの貯金を惜しみなく吐き出して,まるでストリップ・ショウのようなことになってしまった。が,その分,ライブ感があってほどよい緊張感を維持することができた。怪我の功名というべきか。でも,恥ずかしいことだ。人には言えない失敗なのだから。救われたのは学生さんの質がよかったこと。とにかく,まじめに真っ正面から話を受け止めてくれる。あっという間の三日間。

自宅にもどってきたら,平凡社の本の最終稿のチェックが待っていた。丸三日間,これに全力投球をした。この作業も大変な議論が展開されているので,緊張の連続。もう何回も読んでいるはずの内容なのに,これまた新しい発見の連続。とんでもない知の地平に飛び出してきてしまったものだなぁ,としみじみ思う。そして,いよいよこれからだ,と。やっと,スタート地点に立つことができた,と。

これが終わって,ほっとする間もなく,集中講義のレポートがぞくぞくとメールで送られてくる。この採点が終わったのが,つい,さっき。あとは,転記して郵送するのみ。これで大きな山を越えることができた,とほっと一息。

気がついたら秋風が吹いている。お盆はいつ通過したの? ことしもご先祖さまに申し訳ないことをしてしまった,と反省。

世の中,なんとなく騒がしいなぁ,と思ったら選挙だって。でも,こんどの選挙は大変だ。しっかり覚悟を決めて投票しなくては・・・。どちらに転んでいっても大変なんだから。明日から,少しは世俗の勉強もしなくては・・・。

とはいえ,このあとも,惜しみなく新たな「締切り」というハードルがやってくる。この「締切り」というハードルと思いっきり戯れ,遊んでやることにしよう。仕事だと考えないで,最高の「遊び」が待っているのだ・・・と。そうだ,「ホモ・ルーデンス」を取り戻そう,と。そういう授業をやってきたばかりなのだから・・・。あとは,みずから実践するのみ。

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2009-08-19 久しぶりの「梅原節」に酔う。

_ このところ緊張した時間がつづいていたので,そのご褒美に梅原猛の『歓喜する円空』(新潮文庫)を読みはじめた。これがたまらない。

「内海のたけちゃん」はこどものころから腕白坊主でならし,近郷では知らぬ人とてないほど有名だったという。いまでも,梅原猛の小学校時代を知る友人たちは,こんにちの梅原猛を同一人物とは信じがたい,と言っているそうである。「内海」とは,愛知県知多郡内海町のことである。愛知県の知多半島の海水浴場としても知られるところ。わたしが愛知教育大学に奉職していたころには学生を引率して水泳実習を行っていたところである。そのころに,内海の地元の人から「内海のたけちゃん」の武勇伝の数々を聞かされ,びっくりしたことを覚えている。

この『歓喜する円空』のなかでもみずから少年時代のことをほんの少しだけ触れている。それによれば,育ての親の薦めでむりやり名門の愛知一中(現在の旭ヶ丘高校)を受験させられたが,みごとに不合格となり,私学の東海中学に入る。名古屋の親戚の家に下宿したのだが,遊んでばかりいて成績は真ん中くらいだった。それを知った育ての母親が自分の家にもどし,内海から名古屋に通わせることにした。育ての母は,毎朝4時に起きて弁当をつくり朝食を食べさせて「たけちゃん,頑張れ」と応援してくれたという。その心意気を感じて,勉強をするようになり,2年生の終わりにはクラスで2番になった,と書いている。以後,4年生になるまでは優等生をとおしたが,突然,文学にめざめ,小説ばかり読むようになって少し成績が下がったが,まずまずの成績だったそうな。いずれにしても,やがては京都大学哲学科に進学して,こんにちへの基礎固めをする秀才に変身していくわけである。こんなことは小学校時代の友達たちはなにも知らないまま,突然,有名人としての梅原猛が目の前に現れたというのだから,驚くのも無理からぬ話ではある。田舎ではよくある話である。

梅原猛のことについて,もう少し詳しく書いておけば,以下のとおりである。梅原猛の父親も内海の出身で,秀才で鳴らし,愛知一中に進学。東北大学工学部に進学。このとき下宿していた家の娘さんと恋に落ち,結婚。「たけちゃん」を懐妊。しかし,二人とも結核を患っていて,このまま出産をすると母親は長生きできなくなるから堕胎をしなさい,と医者から薦められた。しかし,母親は絶対に産む,と言って「たけちゃん」を出産。医者の言ったとおり,出産後1年半で死亡。父親の兄夫婦にこどもがいなかったので,「たけちゃん」を養子に出し,そこで育ててもらった。このことを「たけちゃん」がうすうす気づいたのが中学生の終わりころだった,という。そして,実の母親のことを真剣に考えるようになった。以後,「わたしは母親の顔も知らないこどもであった」というトラウマをひきずることになる。

そんな梅原猛が円空との出会いをする。円空もまた幼くして母親を亡くし,寺に預けられて育つ。そして,母親の霊を弔うべく僧となる。この円空の出自に共感・共鳴をして,「たけちゃん」は一気に円空のとりこになる。3年間,夢中になって全国に残された円空の作品をみてまわる。どっぷりと円空の世界に浸りながらの生活を送る。その結果,「たけちゃん」は以下のようにこの本のなかで記述している。

・・・パウロが「われ生きるにあらず,キリストわが内にありて生きるなり」と言ったように,「梅原生きるにあらず,円空わが内にありて生きるなり」と言える心境になった。円空は私にとってもはや一人の芸術家にすぎない存在ではない。むしろ彼は私に神仏習合思想の深い秘密を教える哲学者なのである。

このようにして「たけちゃん」はこの『歓喜する円空』を書く。だから,類書の「円空論」とはわけが違う。しかも,哲学者らしく,これまでの円空をめぐる議論を徹底的に批判し,その成果と誤りを明確にした上でみずからの円空論を展開する。そして,なによりもその説得力に圧倒されてしまう。その上,日本の仏教の歴史に興味のある人であれば,この本は必読の書でもある。わたしなどはもうたまらない。とりわけ,神仏習合という複雑怪奇な日本の宗教形態を理解するには絶好のテクストでもある。

ここからさきの内容については,実際に読んで楽しんでみてください。冒頭に集めてある円空の作品(カラー写真)50ページを見るだけでも,円空仏に興味のある人には圧巻だろうと思います。

今夜は眠れそうにない。なんと幸せなことか。

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2009-08-20 円空仏についての疑問が解ける。

_ わたしの大好きな「内海のたけちゃん」の恐るべき想像力と読解力と実証とによって,長い間,わたしのなかに居すわっていた円空仏に関する疑問が氷解した。すっきり,である。

もう,何年前のことになろうか。最初に円空の名前を知ったのは,30代の前半だったような気がするから,およそ40年も前のことになる。そのころからなんども円空ブームが起きて,そのつど雑誌などで特集が組まれたりして,それぞれの時点での最新情報にもとづく仮説が展開された。そのころから,なんだか不思議な議論をしているなぁ,と思いつつそれっきりになっていた。だから,円空はわたしの頭のなかでは永遠にその謎を解くことのできない人物として,放置されてきた。しかし,いろいろの仕事が片づいてきて,なんとなく久しぶりに「梅原節」に触れたくなって,『歓喜する円空』(新潮文庫)を通読してみた。そうしたら,なんともはや,爽やかな読後感であることか。やはり,梅原猛の手にかからないかぎり円空仏の謎をここまで明解に解き明かすことは不可能だったのだろうなぁ,と納得する。

梅原猛はよく知られているように,哲学者である。その哲学者の知的好奇心をくすぐるテーマであれば,いかなるジャンルの問題であろうと,一心不乱にその謎解きに全体重をかけて没頭していく。その一つが『隠された十字架』であり,法隆寺に埋め込まれたメッセージをもののみごとに解き明かしたその破壊的な説得力は多くの読者を唸らせたものである。このときに梅原猛が用いた方法論は,美術史,建築史,佛教史,古代史,考古学,仏像史,など必要とされるありとあらゆる学問分野の成果を総動員させて,みずからの直感力を頼りに,一つひとつの謎を解き明かしていく,というものであった。その論理のみごとさに圧倒されたものである。

今回の『歓喜する円空』もまったく同じ手法である。円空という人物の謎を解くために必要な学問はすべて動員する,という梅原猛でなければできない力技をあますところなくみせつける。その膂力たるや恐るべしである。しかも,すでに,80歳を越えてからの謎解きである。そのあまりに瑞々しい感性にただ脱帽あるのみである。梅原猛は「自分が面白いと思ったことだから,エネルギーはいくらでも湧いてくる」と断言する。しかも,こういう謎解きをお仕事などと思ったことは一度もない,ただ,ただ,面白くて仕方がないから忘我没入することができるのだ,という。「わたしにとってはなにものにも代えがたい最高の<遊び>だ。だから,寝食を忘れても,この謎解きはやめられない」ともいう。「研究であろうと,芸術であろうと,なんであろうと,その根源にある力の源泉は<遊びごころ>以外のなにものでもない」とも仰る。まことに名言である。

もともと「円空ブーム」に火をつけて発端の人は劇作家の飯沢匡である。その後追いをしたのが宗教民俗学者の五来重である。そして,このお二人が,その冒頭でとんでもない間違いを犯している,と手厳しく断罪する。ここまで叩かなくても・・・と思うほどの厳しさである。

たとえば,こうである。飯沢,五来のお二人は,「円空は身分の低いたんなる乞食坊主にすぎない,なぜなら,円空自身が『乞食沙門』と署名していることがなによりの証拠だ」と決めつける。これに対して,梅原猛はじつに懇切丁寧に反論を展開する。もともと佛教の僧侶は托鉢をしながら修行するのが基本である。これは佛教の基本中の基本である。つまり,すべての遊行僧は托鉢,すなわち「乞食」をしながら修行をつづけるのが原点になっている。お釈迦さまも良寛さんも,生涯にわたって「乞食」をつづけた。これが修行の理想なのだ。だから,円空はその理想を追求しつづけたのだ。「乞食沙門」と署名するのはもっとも正当な署名の仕方なのだ,と。ここでいう「乞食」は身分の高い・低いにはいっさい関係のないことばであり,まことにありのままの姿を表現しているだけのことだ,と。お釈迦さまは王族の出身であっても,みずからの修行のために死ぬまで「乞食」をして諸国を歩きまわっていたし,良寛さんも地方豪族の出身であり,立派な寺を寄進するといわれつづけたけれども断り,お釈迦さまと同じ修行の道を死ぬまで歩んだ。こんな基本的なことも理解しないで,円空を「身分の低い出身の乞食坊主」と決めつけることの,しかも,アカデミズムの名のもとで繰り広げられた「暴力」行為を断じて許すわけにはいかない,と梅原猛は激昂する。まるで,円空が梅原猛に憑依したかと思われるほどの迫力である。

まあ,このような調子で,いわゆる先行研究といわれる学説の誤りを一つひとつ検証しながら,みずからの立論の根拠を明確にしていく。久しぶりにいい本と出会ったなぁ,と感動。

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2009-08-21 カズオ・イシグロの『夜想曲集』

_ カズオ・イシグロの短編小説を集めた『夜想曲集』が4年ぶりに翻訳・紹介された。いま,気になる作家のひとりなので,早速,読んでみた。

前作の『わたしを離さないで』が,あまりに強烈な印象だったので,つぎの作品を待ち焦がれていた。それが短編小説集となってようやく登場した。サブ・タイトルに「音楽と夕暮れをめぐる五つの物語」とあるように,なるほど「ノクターン」というこの作品の主題の意味を暗示している。若いころにミュージシャンをめざしたことがあるという経歴の持ち主だけに,ミュージシャンたちが生きている微妙な世界をきめ細かく描写している。わたしのような音楽音痴にも,なるほど,と思わせる描写がここかしこにでてくる。

この短編集のライト・モチーフは,夫婦というもののまことに微妙な関係を,ミュージシャンの世界をとおして明らかにしようというところにある,とみた。おそらく,カズオ・イシグロがミュージシャンをめざしていた若いころに出会った,さまざまな夫婦像をとおして浮かび上がってくる「男と女」の関係のはかなさが,その創作の原動力となっているのだろう。そう思わせる描写が,どの作品にも読み取れる。

なかでも,わたしの脳裏に焼きついた名セリフに,つぎのようなものがある。

「スティーブ,聞いて。奥さんが戻ってくれるといいし,わたしもそれを願っている。でもよ,戻ってこなかったときは,それはそれで頭を切り替えなくちゃ。奥さんはすてきな人だったんでしょう。でもね,人生って,誰か一人を愛することよりずっと大きいんだと思う。あなたはその人生に出ていくべき人よ,スティーブ。あなたみたいな人はその他大勢と一緒にいちゃだめ。」

ベテランの著名な女性シンガーが(彼女もまた,比較的最近,ミュージシャンの夫と離婚したばかり),40歳前後のミュージシャン(才能があるのになかなか世に出られないであがいている男性)に向かって語りかけていることばである。このことばをどのように受け止めるかは,いろいろあっていい。おそらく読者の立つ位置(スタンス,人生観)によって異なることだろう。しかし,いまのわたしには,とても重いことばとして響いてくる。

自分のなかになにか大きな夢があって,それの実現のためならどんな苦労も苦労とも思わない,むしろ,楽しくて楽しくていくらでも元気が湧いてくる,そういう人生を歩んでいる人にとって,「誰か一人を愛すること」による身の不自由は耐えがたいものがあるに違いない。アーティストと呼ばれる人たちに離婚が多いのは,そういうことなのだろう。それは,実業家であれ,政治家であれ,学者であれ,本質的には変わらない。しかし,そういう不安も悩みもなく「一人の人を愛しつづけることができる」としたら,それこそ神の恩寵というべきであろう。そういう人生に出会った人は幸せである。ヒューマニズムとしての努力には限界がある。

近代社会が求めた「一夫一婦制」や「離婚することは悪である」(「バツイチ」)といった一元的な価値観が,いまやほとんど意味をなさなくなりつつある。最近では,結婚する娘に対して,「嫌になったらいつでも帰っておいで」と言って送り出す親がふつうである,と聞く。おそらく,その裏には「自分たちのように我慢する必要はないよ」という意味があろう。人生二度結婚説が,いまや堂々とまかりとおる時代となってきた。こうした事態はヨーロッパでは日本よりももっともっと先行しているようだ。

こうした近代社会とは別の社会へと(わたしのことばに直せば,後近代社会へと)移行しつつある現代の,眼にみえないところでの大きな地殻変動のようなものを,カズオ・イシグロは敏感に察知して,それを小説世界のなかに反映させているのであろう。

前作の『わたしを離さないで』で提起した,臓器移植をめぐる鳥肌の立つような大問題とは,その位相は異なるとはいえ,今回の短編集にしかけられた問題もまたけして軽くはない。結婚,夫婦,家庭,というものの近代的な制度が,すでに疲弊し,破綻をきたしていることを「人生の大きさ」という補助線を引いて,考え直そうとするカズオ・イシグロの眼力に脱帽である。

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2009-08-23 今福さんとの「至福」のとき。

_ 昨日のブログが書けなかった。夜遅く帰宅したからだ。その理由は,今福さんとの「至福」のときをすごすうちに時間を忘れてしまっていたから。

8月22日(土)午後2時から,ギャラリー・マキ(中央区永代橋の袂)で,「サウダージの映画小屋」を開催する,という案内を福島朋子さんからいただいた。内容をみると,ブラジル映画を2本上映し,今福龍太氏のトーク・セッションが行われる,とある。定員30名,先着順,という。迷わず,すぐに参加申込みをする。もう,ずいぶん前だったので,この日がくるのを心待ちにしていた。

午後2時少し前に会場に到着。今福さんが笑顔で迎えてくれ,さっと手を差し出して握手してくださる。初めての経験。意外に力強い握手だったのでちょっと驚く。今福さんの気持ちがどーんと伝わってきた。歓迎してくれている,嬉しい・・・。みなさん板の間に思いおもいに坐っているので,どのあたりに坐ろうかなと迷っていたら,さっと椅子をだして「ここへ」と今福さん。おことばに甘えて,その椅子に坐る。

集まってこられた人たちはみなさんそれぞれに顔なじみの人たちばかり。でも,全部の顔がわかっているのは今福さんだけ。そこで,主だった人を今福さんがわたしに紹介してくださる。東京芸大の先生,筑波大学の先生,といった人びとが混じっている。若い聰明そうな学生さんもいる。二日前にブラジルから帰国したばかりという女性もいる。ギャラリー・マキのオーナーもこのイベントを手伝ってくださっている。みなさん,あの今福さんの「美と快楽」の支持者ばかりなので,わたしにとっては初対面の人たちがほとんどなのに,きわめて居心地がいい。

簡単に,主催者を代表して福島朋子さんから挨拶があり,今福さんが歓迎のご挨拶をし,そのままなんとなく歓談がつづく。ふと,照明が落されたところで,福島さんの歌がはじまる。なんと,そのむかし大ヒットした映画『黒いオルフェ』のテーマ・ソング。小さな声で歌いはじめるや,みなさんの意識が一点に集中し,徐々に歌に感情が入ってくる。最後のお馴染みのメロディーに入ったところで一気に盛り上げて,福島さんの歌が終わる。すでに,ラム酒のオンザ・ロックがふるまわれていたので,アルコールの勢いもあって,フロアーからアンコールの声がかかる。歌詞をとばしてしまいそう,と福島さん。そうなったら応援する,と今福さん。こうして,ときおり,今福さんとのデュエットにもなる福島さんのアンコールが2曲。とてもいい雰囲気になったところで映画の上映に入る。

上映にさきだち,今福さんから映画の紹介がある。なんと映画の題は『オルフェウ』。そのむかしヒットした『黒いオルフェ』はフランスの映画監督の作品だったが,この『オルフェウ』はブラジルの映画監督によるリメイクだとのこと。これで福島さんが最初に歌った歌の意味がわかった。わたしの坐った位置がスクリーンのすぐ前だったので,目の前の大画面となり,迫力満点。いきなり警察官がファヴェーラ(貧民窟)に踏み込んできて拳銃を乱射する場面があって,度胆を抜かれる。同じように,カーニヴァルの場面も圧倒される迫力がそのまま伝わってきて,いい席を今福さんは用意してくれていたことがわかる。ありがたいことである。かつて,学生時代と記憶するので,もう50年も前の『黒いオルフェ』の印象とはまるで違う,別の映画をみているような不思議な感覚に襲われる。しかも,圧倒的にこの映画の方がいい,とわたしは感じた。あるいは,齢を重ねた分だけ,映画を鑑賞する力がついたということかもしれない。

こうして第一部の映画上映が終わる。30分の休憩に入る。そして,ラム酒のオンザロックを飲みながら歓談がはじまる。もっぱら,いま見たばかりの映画を話題にして。いろいろの質問が今福さんに向けてとぶ。それに今福さんが懇切丁寧に応答していく。ときにとてもわかりやすく,ときに詩的幻想の世界に導きながら,ときに思想的なレベルに・・・と変幻自在の解説に聞き耳を立てながら,ひたすらラム酒に酔う。まさに,「至福」のひととき。いい気持ちのままうっとりとしていたら,ここでサブライズがあった。

わたしをみなさん全員に紹介しつつ,わたしに向けてブラジルの著名な詩人の詩を一編,献上したい,という。びっくり仰天である。な,な,なんだって? その詩は,かつてのサッカーの名選手「ガリンシア」に捧げられたものだ,という。まず,今福さんが立ち上がって,感情移入をして「ポルトガル語」の詩を朗読。ことばの意味はまったくわからないが,今福さんの感情をとおして,なんとなくわかるような気がしてくる。これがとても不思議だ。それにつづけて,即興で,その詩を翻訳してくださる。もう,その翻訳がそのまま日本語の「詩」になっている。感動である。いやいや,こんな扱われ方をしてしまっていいのだろうか,と恐れ入ってしまう。

この日は,もうひとつのハプニングが起きたのであるが,この話は「つづき」の部で書くことにしよう。とにかく,時計の針が止まったような時空間が知らぬ間にできあがっていて,気がついたら午後11時ではないか。あわてて帰路につく。今福さんもこれから藤沢まで帰るという。はたして最終の電車に間に合ったのだろうかと心配になる。かく申すわたしも,家に到着したのは午前様だったのだから。

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2009-08-24 サルダージの映画小屋・つづき。

_ 今福さんがわざわざわたしのために「ガリンシア」を讃える詩を朗読してくださり,その場で即興で翻訳までしてくださる,というサプライズがあった。

ここまで昨日のブログで書いた。わたしはとても感動して,ラム酒のまわり具合もよかったのか,あまり意識することもなくふらふらと立ち上がって,お礼に今福さんに歌をプレゼントします,と言ってしまった。もちろん,即座にみなさんから拍手をいただいてしまった。もう,あとには引けない。そこで,山好きの今福さんに,という意味で「イルカピターノ」(Il capitano )(日本語訳では「山の大尉」)を歌うことにした。なんの前置きもなくいきなり歌いはじめ,案の定,途中で歌詞がわからなくなり,「ララーラララ」でごまかした。それこそわたしが山歩きをしていたころに大好きで歌っていた歌なので,もう40年以上も前の記憶を引っ張りだした次第。結果的には大失敗なのだが,心暖かい人たちばかりなので,とても喜んでくださった。

こんなことをやってしまったものだから,その場がまたまた時間が止まったような状態になり,今福さんに向けて映画の質問やら,ブラジルに関する質問などがつぎつぎにでてきて,とどまるところを知らない。その話がやはり今福さんでなくては聞き出せない話ばかりなので,みんなここをチャンスとばかり質問がつづく。いま,見たばかりの映画を手がかりにした質問なので,みんなでイメージを共有しながら,そのイメージがつぎからつぎへと大きくふくらんでいく。「ブラジル」という「精神共同体」(『ブラジルのホモ・ルーデンス』の冒頭にでてくる「ブラジル」についての定義)の,わたしなりの理解が深まり,ブラジル人にとってのカーニバルとサッカーのもつ意味の重さが少しずつみえてくる。近日中にもう一度『ブラジルのホモ・ルーデンス』を読み直そうと思う。

30分の予定の休憩が,おそらく1時間30分くらいにはなっていたのではないかと思う。それほどに話題がつきなかったということだ。そうして,ようやく第二部の映画がはじまった。この映画については,今福さんからかなり詳しい説明があった。なぜなら,こんどの映画は「字幕」なしなので,ひたすら映像をみるだけになるからだ。この今福さんからいただいた情報も,すっかりいい気分で酔っていたので,ほとんど忘れてしまった。

しかし,不思議なもので,映像のもつ情報伝達機能というものは恐ろしい。ことばがまるで理解できないのに,映画のメッセージの骨の部分はしっかりと伝わってくる。場合によっては,ことばがない方が強烈である。わたしたちはふだんからことばをとおしてなにかを理解することが習慣化してしまっているので,ことばがないと考える手だてがなくなったかのような錯覚に陥る。しかし,場合によってはことばなしの方が思考の深いところに直接触れていくこともありうる,とこの映画をみながら思っていた。

映画の題名は「Cinco Vezes Favela」(1962)(「ファヴェーラ5連作」)。つまり,ファヴェーラ(貧民窟)を描く5連作,ということ。それぞれ15〜6分の短編である。タイトルは以下のとおり。

Episodio 1 Um favelado(dir.Marcos Faria)「あるファヴェーラの住人」

Episodio 2 Ze da cachorra(dir.Miguel Borgues)「ゼ・ダ・カショーラ」

Episodio 3 Couro de gato(dir.Joaquim Pedro de Andrade)「猫の皮」

Episodio 4 Escola de Samba:Alegria de viver(dir.Carlos Diegues)「エスコーラ・ジ・サンバ──生きる喜び」

Episodio 5 Pedreira de Sao Diogo(dir.Leon Hirszman)

これらの映画の上映が終わったところで,さらに,スナックがでて,アルコールはカンパをして買い足しに走る。珍しいブラジル料理に舌鼓を打ちながら,またまた,今福さんを中心にしたトークが延々とつづく。「やしの芽」(日本の竹の子のような感じのもの)なるものを初めて食べた。これはなかなかいける。マヨネーズをつけて食べるそうだが,このままでも十分いける。みなさん酒豪が多かったということなのか,あれよあれよという間に,瓶が空になっていく。場の力というものは人間を別人に仕立て上げるようだ。わたしも今福さんに刺激されて,いつのまにやら饒舌になっている。途中で何回も気づいて,自制しようとするのだが,アルコールの勢いは止まらない。

いつのまにか話題はブラジルのサッカーに集中。そして,わたしが「やはり一度,ブラジルのサッカーを見に行かなくては駄目ですねぇ」と言うと,すかさず今福さんが「来年,行きましょう。8月か9月に。赤道をセンター・ラインにした有名なサッカー場があるので,南半球と北半球を股にかけたピッチの上で展開されるサッカーを見に行きましょう」と。わたしが「来年はスペインのマドリッドで国際シンポジウムが予定されているので・・・」と尻込みしたら,「スペインまできているのでしたら,ブラジルまではすぐですよ」「マドリッドの会議が終わったら,ブラジルに飛べばいい。帰りはアメリカ経由で帰れば,地球を一周したことになりますし・・・」と今福さんは,もう決定,という口ぶり。こうなったら酒の勢いも借りて,「スペイン経由でブラジルに行くことを本気で考えます」というところで,ほぼ決定,ということになった。これが,昨日,予告した「ハプニング」の内容。まあ,瓢箪から駒がでる,とはよく言ったものである。でも,案外,人生なんてものはこんなものだ。一瞬の「出会い」が大事だ。ひょっとしたら,来年はわたしの人生にとってまたまたとんでもない展開が待っているかもしれない。だとしたら,今福さんは「福の神」。ありがたや・・・・。

という具合で大いに盛り上がったところで,はっと気づいて時計をみたら,驚いた。いつのまに時間が流れていったのだろうかとわが眼を疑った。午後10時45分を廻っているではないか。あわてて,後片付けもそこそこに帰路につく。

という,まことに,わたしにとっては久しぶりの「至福」のときを満喫した9時間であった。

今福さん,福島さん,ありがとう。こころから感謝しています。こういう楽しいイベントには,これからもぜひお誘いください。万難を排して参加させていただきます。

_ 追伸:当日配布された印刷物のなかに,今福さんが岩波書店の『図書』に連載されている「薄墨色の文法」⑧──「凝視」二,「斜視のオルフェウス」(2009年5月号,P.52〜57)があった。翌日,読んでみて驚いた。瞠目すべき内容になっているので,ぜひ,読んでみてください。

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2009-08-25 いまどきの学生さんは「便所飯」だって?

_ 机の上を片づけていたら,7月6日(月)の朝日新聞夕刊がでてきた。その1面トップの記事の見出しが,なんと「友達いなくて便所飯?」とある。

ご丁寧にも,便座に坐って牛乳片手にパンを食べている,大きなイラストまでついている。「一人で食べる姿,見られたくない」という小見出しまであって,わたしには理解不能。「便所飯」なることばを聞いただけで,わたしは呆然としてしまった。なんのこっちゃ?

記事によると以下のとおり。

トイレの個室で次のことを禁止します。落書き,喫煙,食事──。こんな紙が,あちこちの大学で張られている。落書きや喫煙の禁止は見かけるが,この張り紙,食事にまで触れている。図柄は同じで,最後に大学名。ところが,どの大学も「張り出した覚えはない」。誰が,何のために。探っていくと,周囲の視線を気にする今の若者を映し出した言葉「便所飯(べんじょめし)」に行き着く。

ここから始まって,いろいろの大学の事例や学生さんの談話などが紹介された上で,最後に「最近の学生を見ていると周囲の視線に敏感で,友人がいないことを大きなプレッシャーに感じる若者が一定数いる。『便所飯から始まって,退学や引きこもりに至ってしまうのでは,という心配があります』(辻大介大阪大学准教授)」とある。

またしても,わたしは茫然自失である。日本の未来は暗いなぁ,と。記事の展開の仕方があまりにも簡単明瞭すぎて,軽い。いまどきの学生さんのなかにはこういう人たちがでてきているんですよ,とどこか週刊誌を読んでいるような印象。しかも,3人の記者の名前も載っている共同取材記事である。わたしの不満は,なぜ,もう一歩踏み込まなかったのか,というもの。こういう記事がでると,おそらく,「良心的な」大学の教授会では議題として取り上げられ,まじめに議論される。そして,わが大学ではこのような学生さんたちにたいしていかなる対応策を立てるべきか,という展開になる。そして,保健管理センターを中心にしたカウンセリングや,特別相談コーナーなどを設けて心理学の先生たちが忙しくなる。いまは,大学の存亡がかかった危機的情況にある(学生が集まらない)ため,大学はいかなることにも必死で対応しようとしている。

いまや,大学は学生さんたちにたいして「過保護」状態に慣れっこになってしまって,どこか感覚が麻痺してしまっているように見受ける。もちろん,このような当座の対策が必要なことはよくわかる。しかし,対策を立てただけで問題が解決したかのごとき錯覚を起こしていないか,というのがわたしの不安。

とうのむかしに,大塚久雄(経済史家)が『ものの豊かさとこころの貧しさ』(みすず書房)で指摘したように,高度経済成長の延長線上に待ち受けている「こころの貧しさ」が,不幸なことに的中してしまって,いま,この現象がありとあらゆるところに蔓延しているのである。少なくとも,この30年の間,「こころの貧しさ」出現にたいしてなんの対応策もとらなかった,われわれ大人の責任である。つまり,経済発展に偏りすぎた政策のツケがここにでてきている,ということの自覚がまったく欠けたまま,いまもやりすごしている。それどころか,見て見ぬふりをしている,としか言いようがない。

フランスのピエール・ルジャンドルは『西洋が西洋について見ないでいること』(以文社)という名著を残している。つまり,自分にとって都合の悪いことは「見ないでいる」のがつねである,というわけだ。「アメリカがアメリカについて見ないでいること」「日本が日本について見ないでいること」「先生が先生について見ないでいること」・・・・という具合にどこにでも転用可能である。「わたしがわたしについて見ないでいること」,まずはこの点から反省をはじめるしか方法はないだろう。

選挙戦たけなわのいま,これまでの政治にたいするなんの反省もないまま,「経済成長」を第一にかかげて平気であるのみならず,「金のない奴は結婚しなきゃいい」と発言してはばからない,というこの厚顔無恥。もはや,つける薬もない。

「便所飯」を食わなくてはならない学生さんたちは,こういう厚顔無恥な大人たち(要するに「勝ち組」)の犠牲者なのだ,という自覚がないのか,気づかないのか(字が読めないのか),あるいは,知っていて知らぬふりをしているのか,そんな奴は切り捨ててしまえと本気で考えているのか,一度,質してみる必要があろう。

総じて,最近のメディアは,表層に浮かぶ徒花ばかりを熱心に話題にとりあげ,その徒花が咲き乱れる幹や根っこ(根源)については見向きもしない。ジャーナリストもまたジャーナリストについて「見ないでいる」ことに熱心なようだ。むかしのような気骨のあるジャーナリストは,いまの世の中ではもはや不可能なのだろうか。われわれ選挙民も同じである。

一億総評論家になりはてて,気骨のある「批評家」は姿を消してしまった,とでもいうのであろうか。それはスポーツの世界でも同じだ。世の中に「スポーツ評論家」と名乗る人はたくさんいるけれども,ことばの正しい意味での「スポーツ批評家」を名乗る人はほとんどお見受けしない。困ったものだ。となれば,みずから「スポーツ批評家」と名乗りをあげる以外にはないか・・・・。

それにしても「便所飯」とは情けない・・・・。これは男子学生だけの徴候なのだろうか。

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2009-08-29 気合の入らない選挙。

_ 連日,メディアが騒いでいるわりには,実感としての「ドキドキ」感がない。候補者の体温のようなものが伝わってこない。

毎日通る駅前には,日替わりのようにして選挙区の候補者たちが立って,選挙運動を展開している。が,どの候補者もみんな,運動員にユニフォームのTシャツを着せて,マニフェストを配布しているだけである。それもおざなりな「お願い」でしかない。そこにLeidenschaftが伝わってこない。つまり,候補者に成り代わるだけの「熱い思い」が伝わってこない。ひょっとしたら,この人たちは派遣社員ではないか,時給いくらで雇われているのでは・・・?といぶかってしまうほどに「熱」がない。それが,もろにこちらに伝わってきてしまう。ほんとうの支持者であるのなら,もっと「真剣に」「お願い」をする,と思うのだが・・・。

そう思っていると,候補者もまた「熱情」がない。「気が抜けている」のである。あちこちで候補者の演説に耳を傾けてみる。第一に,演説が下手である。なにを訴えたいのか,なにも伝わってこない。もっとコンパクトに言うべきことを整理して訴えるということを,なぜ,しないのか。立ちどまって,わたしのように耳を傾ける人はほんのわずかでしかない。とおりがかりの人の耳に強烈な印象を残すには,20秒でひとつのまとまった訴えをしなくてはならない。そういうコピーのようなものを,なぜ,専門家を動員して書いてもらわないのか。あるいは,候補者本人が考えるべきであろう。なのに,大学の気の抜けた授業のような「お話」がだらだらとつづく。そこには,わたしの好きな「ドキドキ」感がまったくともなわない。あれでは道行く人の足を止めることはできない。第二に,政治哲学・思想がほとんど伝わってこない。きわめて表面的な社会現象や政治信条だけをあげつらうだけの演説がつづく。「生活を守る」などということは当たり前のことである。その生活を守るためには,どのような新しい哲学・思想の導入が必要なのか,なにもない。ただ,ひたすら「我が党」に,「わたし」にお任せください,と連呼するだけである。政党の公認候補者になるための道筋も,候補者の適性を問うそのような議論がまったくなされないまま,政党のご都合主義にゆだねられている。第三に,候補者のオーラがまったく感じられない。存在感がない。同じような服装をしている人が数人いると,どの人が候補者なのか,たすき掛けをしていないときにはわからない。そういう他を圧倒するような迫力がない。ふにゃふにゃな存在でしかない。もっとも,そういう候補者がわたしの選挙区には多すぎるのかもしれない。第四に・・・・と,もう,これ以上あげつらうのはやめよう。

要するに,わたしの意志を代弁してくれるような候補者がみつからない,というただそれだけのこと。もっと,優秀な人材が政治家を志すような「仕組み」をつくらないと,日本の政治はこのままじり貧になってしまう。日本という国が進むべき根源となる意志決定をする人びとが,烏合の衆では困るのである。この何年もの長い間,同一政権がつづいてきた「ツケ」がいまここに現れている,と言って片づけてしまうのではなくて,だからこそ,ここから脱出して新しい方途を見つけ出さなければならない,という自覚をわれわれ選挙民がもつべきであろう。それはしかし,もっとも困難な道でもあるが,その努力を惜しむべきではない。

メディアは,ある政党の圧勝を伝えているが,これもまた困りものである。なぜなら,実力でここまでのし上がってきたのならまだしも,ただたんに,相手政党が墓穴を掘り続けた結果がこれだ,というにすぎないのだから。その意味では,あまり圧勝はしてほしくない。かりに新しい政権が誕生したとしても,そのさきに待っているのは,これまでの政権党にまさるとも劣らぬほどの難題の数々である。

政治の泥沼化はまだまだつづく。けして楽観は許されない。どこまでつづく泥濘ぞ。当分の間は,そういう道を歩み続けるしかない,と覚悟をした上で,そこから脱出するための,つぎなる道を構築していくしかないのだろう。いつまで,こんな時代がつづくのやら・・・・。日本国民が眼を覚ますような大事件が起こるのを「待つか」。いずれにしても「待つしか,ないか」。

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2009-08-30 竹内敏晴さんの「八月の祝祭」をみてきた。

_ 突然,三井悦子さんから電話が入り,三鷹(東京)で竹内先生の「八月の祝祭」という公演があるので上京するという。わたしも便乗してみてきた。

三井さんは竹内レッスンの常連さんなので別格として,わたしは初めての経験。毎年1回,東京で開催される竹内レッスンの重要なイベントのひとつだという。どんなステージになるのだろうかといささか緊張する。

ステージは第一部と第二部の二部構成。

第一部は,「からだとことばの公開レッスン」。幕が上がったステージには車椅子に坐った竹内さん。すっかり痩せていらっしゃるので,びっくり仰天。あの元気はつらつとされている,いつもの竹内さんではない。つづいてご挨拶された声が,いつもの竹内さんのものではない。かすれた,弱々しい声である。ご挨拶の要旨は以下のとおり。

「さきほど,リハーサルをやろうとしたのですが,とてもできる状態ではないということがわかりました。まことに申し訳ないですが,公開レッスンは割愛させてください。その代わりといってはなんですが,わたしのこども時代に出会った『ぎんぎんぎらぎら』という唱歌をみなさんで唄っていただいて,第二部に入りたいと思います。この歌の『ぎんぎんぎらぎら』ということばがわたしのこども心に強烈な印象を残しました。なんと美しいことばなんだろうと。夕日を表現するのに,こんなことばがあるなんて,と感動しました。ですので,みなさん,できるだけ大きな声で唄ってください。」

舞台と会場とがひとつになって,しかも,みんな童心にかえったように,大きな声で唄いました。わたしもすっかりこどもに還っていました。竹内さんは車椅子に坐ったまま静に耳を傾けていらっしゃいました。そのお姿がとても印象に残りました。と同時に,えもいわれぬ感情がわたしの胸を去来しました。

第二部は『冗談じゃないよサロイヤンさん,民主主義だって?』

こちらは,竹内レッスンを受けていらっしゃるお弟子さんたちによる「演劇」でした。全部で8部構成になっていて,それぞれに重いテーマを抱え込んだものばかりでした。「サロイヤンさん」とは,ウィリアム・サローヤンのことで,なぜか,劇中では「サロイヤンさん」と呼ばれていました。サローヤンといえば,わたしの友人のひとりである内藤誠(映画監督)さんの手になる翻訳もたくさんあって,わたしは内藤さんから送られてきた本をとおして,ある程度,おなじみの人でした。しかし,今回,とりあげられた作品は「220ヤード 低ハードル」というサローヤンの詩をもとに,脚本が書かれたということでした。わたしは残念ながら,この「220ヤード 低ハードル」という作品を知りませんでした。でも,サローヤンという作家が,どの作品でも言い続けていたこと,つまり,人間として生きるということの意味,という点では通底していましたので,わたしには理解しやすい題材でした。「頭がいいとか悪いとか,そんなことはどうでもいい。金持ちであるとか貧乏であるとか,そんなことはどうでもいい。大事なことは,ひとりの人間として正直に生きているかどうか,ということだけだ」というセリフに,この演劇のすべてが集約されていたように思いました。

8部構成のテーマを挙げておきますと以下のとおりです。

○「220ヤード 低ハードル」(ウィリアム・サロイヤン作)

○「討論」

○「父の話」

○「雄弁家 いとこディクラン」

○「インディアンの酋長からのアメリカ大統領への手紙」

○「水たまり」(黒井薫作)

○「民主主義哀歌」(高銀作)

○「奇妙な出来事」

よく知られているように,竹内レッスンに来られる人たちのなかには,こころのなかに大きな負債を背負いこんで,からだもことばも意のままにはならなくなってしまった人たちが混ざっています。そして,その人たちをはじめ,さまざまな悩みを抱え込んだ人たちのこころとからだを解き放つためのレッスンをひとつずつ積み上げていきます。そのひとつの発表の場が,今回のこの公演となっています。ですから,この演劇に出演している人たちのなかには,ふだんは吃音で,うまくセリフが言えない人も混ざっています。そういうことをすべて忘れさせてくれるような立派な舞台だったので,とても感動しました。こういう経験はわたしにとっては生まれて初めてのことでしたので,しみじみと,いろいろのことを考えてしまいました。

そして,いつのまにか,『ブラジルのホモ・ルーデンス』から伝わってくるメッセージとも通底している,とさえ思いはじめています。つまり,人が生きるということはどういうことなのか,という根源のテーマに立ち返っていく,ということでしょう。

この問題については,これからもつねに考えつづけていくことになるでしょう。スポーツ文化論のひとつの重要なポイントですから。

最後に,竹内敏晴さんの,一刻も早いご回復をお祈りしながら,このブログを閉じたいと思います。

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2009-08-31 『典座(てんぞ)さんの健康料理』を読む。

_ 山崎紹耕著『典座(てんぞ)さんの健康料理』禅宗700年 食の知恵(小学館101新書,2009年8月刊)を読む。

道元さんの書いた『典座教訓・赴粥飯法』によれば,典座というのは仏道修行のためのひとつの役職で,禅寺の修行道場で修行する僧の食事を司る,とされている。しかも,道元さんの考えでは,禅寺にあるいくつもの役職のなかでも典座の評価はきわめて高い。ひとつには,道元さんが中国で最初に出会った僧が典座職の人で,この人から刮目すべき仏道の修行についての基本を教えられたからだ,と考えられている。もうひとつの理由は,道元さん自身が典座の修行をしているプロセスで,人が生きるということは他の植物の生命をいただくことによって成立しているということに深く思いをいたし,他者なしには自己はありえない,という悟りに到達したからだ,と言われている。しかし,一般のお寺では,食堂(じきどう)での食事全般を取り仕切る役職として,それほど高い地位が与えられているわけではない。

著者の山崎紹耕さんは臨済宗の典座さんとして修行をされた方であるので,道元さんのように曹洞宗ほどには典座の修行が高く評価されているわけではないが,この典座という修行はとても重要である,ということをこの本のなかで繰り返し強調している。しかも,新書として書いたということからも推測できるように,そのなかで説かれていることは,とてもわかりやすい。そのなかに各章ごとに紹介されている禅語のいくつかを紹介しておこう。

「知過必改」(ちかひっかい)・・・「過(あやまち)を知れば必ず改められる」という意味である反面,「反省がなければ進歩がない」ということも表しています。自らの過を知り改める。その実践が,わたしたちの心(精神)と体を錬磨し,人格を形成する最良の方法といわれています。

「歩歩是道場」(ほぼこれどうじょう)・・・禅の修行者は一歩一歩のあゆみ,一つ一つの言動がすべて修行であり,真理や道理のど真ん中で生活している。だから,只今,この一瞬一瞬に一所懸命になるということです。そのことを「時(じ)ぎり,場(ば)ぎり」ともいいます。

「看脚下」(かんきゃっか)・・・足元をよく見よ。同意の「照顧脚下」(しょうこきゃっか)は,脚下をよく照らしてみよ,仏の教えの中に立っているぞ,となります。たとえ手に持つ明かりが消えても自分の心に仏法という光を持てば,つねに足元は明るく,人生を迷わず歩くことができるということです。

「随処作主」(ずいしょさしゅ)・・・このことばは「立処皆真」(りっしょかいしん)と一対の禅語。その意味は,自分の置かれた場所で専心して懸命にやるべきことをすれば,どこにいても生きがいを感じることができるということ。自ら惜しまぬ努力を続ければ,日常の中でさまざまな意味を発見することができるということです。

「細嚼難飢」(さいしゃくなんき)・・・「細嚼(さいしゃく)すれば飢(う)え難(がた)し」は,「よく噛んで食べればひもじくならない(自分の分を心得れば人を満ち足らせる)」と「生噛みはよくない」という二つの意味があります。食事も悟りも,よく噛んでから飲み込まないと却って害を及ぼすものです。

「誰家無明月清風」(たがいえにめいげつせいふうなからん)・・・「どんな家にでも明るい月は宿るし,清風は吹く」の意。その本意は「仏の知恵とは,清らかに落ち着いた境涯で,すべての生きるものがそれを待つ」ということです。日々工夫をして料理をつくり,感謝して食す。これも仏の知恵の一つ。

という具合です。

とても心地よく読み進むことのできるいい本だと思います。が,唯一,わたしの気にいらないのは書名。『典座さんの健康料理』という「健康」は不要。これはたぶん出版社側の要望で,このネーミングの方が「売れる」から,ということでしょう。しかし,「健康」という概念は,考えれば考えるほどわからなくなってしまうものです。なにをもって「健康」というのか,だれかわかりやすく教えてください。いっとき,高等学校で保健の授業を担当していたことがあって,「健康」の概念をかなりしつこく調べたことがあります。その結果,わたしの到達した結論は「健康」の概念規程は不可能である,というものでした。それは,いまも変わりません。

大雑把な見方ではありますが,過去の歴史上,人びとが「健康」に過剰に反応する時代は,洋の東西を問わず,人びとのこころが不安定になっている,その裏返しが「健康」への異常なほどの関心の高まりを生み出す,というのがわたしの感想です。ですから,現代社会というのは,人びとのこころがきわめて不安定である,と言っていいと思います。

この本が『典座さんの料理の知恵』くらいの名前で刊行されるようであれば,その社会は比較的「健全」だと考えていいでしょう。ですから,出版社もまた,「経済原則」に支配された不安定な情況に置かれている,ということがこんな書名のネーミングから透けてみえてきます。

まあ,そんなことも念頭におきながら,こんな本をめくってみるのも,夏休みのお遊びとしては「健全」でいいのではないでしょうか。

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